三国干渉受諾を聖断
1894(明治27)年 日清戦争の講和条約(下関条約)で日本に割譲された遼東半島について、ロ独仏の三国が返還を勧告。日本政府は明治天皇の聖断により、「三国干渉」の受諾を決めた。その代償として3000万テール(両)、邦貨換算4000万円が支払われた。下関条約ですでに決まっていた賠償金2億両と合わせて3億6000万円と日本の国家予算4年分に相当する巨費を手にした。ロシアは同半島南部を清国から租借し、対ロシア交戦論の導火線となった。後の日露戦争の勝利で遼東半島の租借権は日本に移り、大連を中心とするこの地域を大陸進出の足がかりとした。
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その他の出来事
GHQ、自由党の鳩山党首を公職追放
1946(昭和21)年 連合国軍総司令部(GHQ)が、組閣寸前だった鳩山一郎自由党総裁の公職追放を発表。4月10日に行われた終戦後最初(旧憲法下最後)の衆院選で、鳩山率いる自由党が第1党となり、組閣名簿を作り天皇の大命降下を待っていたこの日、GHQによる追放が伝えられた。鳩山が保守的すぎるとして首相就任を妨げたといわれ、7日に追放が発令された。鳩山は吉田茂に後任総裁と首相就任を託す。第2党の進歩党との連立で5月22日に第1次吉田内閣が発足した。
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「最低限度」を保障 生活保護法施行
1950(昭和25)年 生活保護法が公布・施行された。日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」との生存権規定に基づき、生活困窮者に対し最低限度の生活を保障するとともに、その自立助長を図る。無差別平等、保護の補足性、保護の国家責任を基本原則とし、生活・教育・住宅・医療・出産・生業・葬祭の7種類の扶助を定めた。現在は「介護」が加わり8種類。生活保護基準、保護施設、医療および授産機関、被保護者の権利・義務などについて規定している。
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「今太閤」田中角栄が誕生
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