なかなかよい所得の再分配制度――市場が家計に分配した所得の一部を政府がいったん預かり、家計に所得を再び分配する制度――が生まれそうである。4月19日に衆議院本会議で採決され、可決されたうえで参議院に送られた子ども・子育て支援法の中にある支援金の話である。
国会での議論の過程で、次の資料が公開されていた。
再分配の意味を的確に描いたこの図について説明しておこう。
今、所得がみんなに平等に分配されている社会があるとする。新たな支援金の対象となる大人たちみんなが同額の毎月450円を支援金に拠出するとしよう。みんなの拠出金は「こども金庫」というところに集められ、そこから、0〜18歳の子どもたちに再び分配される。
負担と給付の両面をみるとどうなるか?
こうした制度が準備された社会で今、ある家庭で子どもが誕生したとしよう。こども家庭庁の試算によると、その子が18歳になるまで、新しく創設される再分配制度による拡充分として合計146万円が給付されることになるらしい。この時、こどもの親は、支援金として1人当たり月に450円を19年間拠出した総額は約10万円になる。2人では20万円だ。この家庭は、差し引きして126万円の所得の受け取り超過となる。
こうした制度の創設が、まもなく参議院で議論され始めることになる。
この新しい所得の再分配制度を、今の若い人たちが反対するのだろうか? 巷間言われているように若い人たちも負担するからと、少子化が加速するのだろうか?
ここでは今、所得がみんなに平等に分配されている社会を想定しており、そうした平等社会では、高所得者から中・低所得者への垂直的な再分配はない。あるのは所得が同じ人たちの間での水平的な移転のみである。しかしそうした水平的な所得移転のみからなる新しい再分配制度であっても、子ども・子育ての当事者にとっては望ましい制度に思えるのではないだろうか。
野党や一部の有識者たちは猛反発している。中には、今回の支援金を医療保険料の流用と呼ぶ者もおり、その自説を拡張して、これからもそうした流用が際限なくなされるようになるという者もいたりする。
後述するが、支援金の財源調達方法は、賃金のサブシステムを構築する以外に使うことができるわけがない。そうしたこともわからない日本の民主主義、いわゆる有識者からなる言論界というのは、その程度のものと諦めて眺めておくしかないのだろう。
今はとにかく、「今回の支援金騒動の主役である政党、そして彼らを代弁するさまざまな応援団が、かつての年金騒動時とほぼ同じ懐かしい顔ぶれである様子を眺めると、歴史が繰り返されているように見えるものである。議論の経緯をみんなで眺め、誰が何を言っているのかをしっかりと記憶しておくことは、日本の民主主義を進化させるためにも、意味のあることのようにも思える」(「子育て支援めぐり「連合と野党だけ」猛反発のなぜーー 騒動の主役は『年金破綻論全盛時と同じ顔ぶれ』」 より)。
キーワードは消費の平準化
どうして子どもを育てている世帯は、給付の受け取りと支援金の拠出との差であるネットの受取額が大きなプラスになるのか。それは、新たな支援金制度が、社会保障の基本かつ最重要な機能である消費の平準化(consumption smoothing)を果たすことになるからである。
このあたりの話に触れていた「社会保険が子ども・子育てを支えるのは無理筋か 『提唱者』権丈善一・慶応大教授が寄稿(上)」に書いていたことをおさらいしながら、説明しておこう。
医療費の50%以上、介護給付費の96%は70歳以降で使い、年金給付費の83%ほどは老齢年金である。医療、介護、年金保険はこれら高齢期に集中する生活費を若いときから負担しておいて、将来になったらそれを使うという形で支出を平準化していることになる。これが消費の平準化(consumption smoothing)であり、社会保障という所得再分配制度が担う主な役割である。社会保障というと、一部の人は「自分とは関係のない、困っている人へのほどこし」というイメージを持つようだが、社会保障給付費の約9割は社会保険であり、この社会保険の機能は所得再分配によって、われわれの消費を平準化することである(生活保護など公的扶助は社会保障給付費の3%程度)。どうも世の中の人たちは、社会保障が行っている所得の再分配というのは、高所得者から中・低所得者への「垂直的な再分配」が第一の目的だと勘違いしているようである。しかしながら、今の時代、それは完全な間違いである。社会保障の給付費の9割を占める社会保険制度が行っている所得再分配を重要な順に並べると次の3つになる。
1. 今必要でない人から今必要とする人への「保険的再分配」2. 必要でないときから今必要なときへの「時間的再分配」
3. 所得の高い人からそうでない人への「垂直的再分配」
社会保険が垂直的再分配を行っているのは、賃金比例で拠出して、必要に応じて給付を受けているがゆえの、結果としての垂直的再分配の趣が強い。社会保険の第1、第2の目的は、保険的再分配、時間的再分配による消費の平準化である(1と2の重要さは同程度であり、3の重要さはそれらより低い)。
賃金に比例して応能負担の原則で労使折半により拠出し、個々の家計の必要原則に基づいて給付を行うことにより、消費が「必要な人・とき」へシフト(平準化)する。この再分配により、貧困に陥ることを防ぐ防貧機能が果たされ、中間層を中心としたほとんどの人たちの生活が守られるわけである。ベストセラー『21世紀の資本』を著した経済学者ピケティの言葉を借りれば、「現代の所得再分配は、金持ちから貧乏人への所得移転を行うのではない」ということになる。
このあたり、すなわち、社会保障の主な役割は、垂直的再分配ではなく、保険的、時間的再分配であることは、本当に理解されておらず、社会保障周りへの誤解の入り口となっている。児童手当の所得制限の是非の判断にも影響を与えるため、3月に出かけた自民党の財政健全化推進本部というところでも私は次のように話している。
ここでわかっておいてもらいたいことは、社会保障給付費の9割を占める社会保険の第1の目的は、生きていると必ず直面する「支出の膨張」と「収入の途絶」という生活リスクを平準化すること。これを消費の平準化(consumption smoothing)と呼ぶわけですが、これがメインであるということです。所得の再分配というと高所得者から低所得者への垂直的再分配がメインであるように思っている人が多いのですけど、それは、能力に応じて負担して必要に応じて給付を受けるという社会保険の原理の下で結果的に生じている副産物のようなものでして、社会保険が圧倒的規模で行っていることは消費の平準化です。「支出の膨張」と「収入の途絶」という生活リスク
ではなぜ、そうした保険的、時間的な所得再分配政策が必要となるのか。その理由は、われわれが生きていくうえで必ず直面する「支出の膨張」と「収入の途絶」という生活リスクには、市場社会において広範囲に使われている賃金システムでの対応は難しいからである。
人間が生きていくうえでは、どうしても、子育て期や病気のときに支出の膨張(養育費・教育費や医療費)が起こる。また、養育期だけでなく、病気になったり年をとったりしたときにも働けず、収入の途絶は起こることになる。
こうした、支出の膨張や収入の途絶には、賃金システムはうまく対応していない。いや、できないのである。日本ではかつて、賃金システムとは別枠の、企業内での福利厚生で対応しようとはしていたが、その役割を企業が撤退しはじめて久しい。
賃金システムの欠陥を補うために、消費の平準化を果たす賃金のサブシステムとしての社会保険制度が、ビスマルク時代のドイツ帝国で、年金、医療などを対象として考案された。私保険のアナロジーによって社会保険と呼ばれたが、この社会保険が果たす役割の本質は、「支出の膨張」と「収入の途絶」に対応できない賃金のサブシテムであった。
そして今、この国で、参議院を通過すれば成立することになる新たな賃金のサブシステムが、子育て期の「支出の膨張」と「収入の途絶」に対応する支援金制度である。医療、介護、年金などの高齢期向けの賃金のサブシステムと同様に、賃金と関わる労使が折半で拠出し、今支援が必要な人たちに所得を再分配する。それが、先に示した、こども家庭庁が作った図の意味するところである。
ただしこのシステムは、給付が若いときになされるために、私保険のアナロジーで例えることは難しいのは事実だ。この点、奨学金を先に受けて、卒業後に賃金比例で返済する所得連動返済型ローンを、時間的に逆向きの社会保険と呼ぶこともある。
支援金は、それに類似した制度であるとも言えるが、社会保険という言葉にこだわる必要もないだろう。支援金も、医療、介護、年金も、賃金システムの欠陥を補う賃金のサブシステムであって、企業を含めこれらの制度への参加者全員が分かち合い、支え合う連帯の仕組みである。今回の支援金の成立でこの国でもようやく、若年期、勤労期、高齢期のための賃金のサブシステムとしての再分配制度がそろうことになる。
もっとも、子ども・子育て支援策は、社会・経済の参加者全員に、特に社会保障全般の持続可能性に関して直接・間接のメリットがあるのは事実であり、それゆえにそのメリットを明示的に意識してもらえるように、支援金に保険料という言葉が使われているのであろう。
閣議決定「こども未来戦略」には、「企業、地域社会、高齢者や独身者も含め、社会全体でこども・子育て世帯を応援するという気運を高めていく国民運動が必要であり、こうした社会の意識改革を車の両輪として進めていく」とある。
以前から繰り返し言い、書いてきたことであるが、今回の仕組みだと「連帯を通じて個人、地域、社会につながりがあり、子育て費用を社会全体で負担していくという意識を涵養できる」。なかなかよい所得の再分配制度の誕生である。
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