災害時、自分の身を守る「自助」、行政などの公的な支援の「公助」に対して、地域や身近にいる人同士で助け合うことを「共助」と呼びます。
【前編】では、『共助』で亡くなった事例から、支援のあるべき姿について考えてきました。
▼「見捨てるわけにはいかない」近所の高齢者を助け亡くなる 災害時『共助』のジレンマ “弱者支援” のあるべき姿とは【前編】
熊本県内には、高齢化によって「共助」に頼らざるを得ない要支援者が多く住む地域が現実に存在します。【後編】では、2020年7月の豪雨で25人が亡くなった球磨村の取り組みから「共助」を考えます。
集落の約半数の世帯に「要支援者」
(防災無線)「こちらは防災・球磨村役場です。大雨に対する警戒レベルを3に引き上げ、球磨村の全域に高齢者等避難を発令します」
5月12日、球磨村で行われたのは「全村民が避難について考える日」。大雨による危険が迫っている時の避難行動を確認する、村民も参加しての訓練です。
村は、災害対策本部を設置し、各機関との連携を確認しました。
球磨川の支流・那良川沿いにある那良地区。山と川に挟まれた小さな集落です。
全12世帯のうち約半数の5世帯に避難の際に支援が必要な「要支援者」がいます。
那良地区自主防災組織会長 那良茂さん(74)「高齢化率が70%を超えている地域なので、『自助』も人の支援がないとできないところだと思っている」
亡くなった25人中ー24人が「要支援者」
4年前の「令和2年7月豪雨」で、球磨村全域では25人が亡くなり、そのうち24人が「要支援者」でした。
球磨村では「要支援者」に対して避難の際にサポートを担当する「支援者」を決めた名簿が、この時にはすでに作成されていました。
しかし住民たちに浸透しておらず、ほとんど機能しませんでした。そこで、那良地区では今回初めて、名簿を元に「共助」を想定した訓練を行ったのです。
もし災害が迫ったらーー
吐合マサヨ(はきあい まさよ)さん、94歳。自力で歩くことはできますが、杖が必要です。
現在は、娘と息子と3人で暮らしていますが、子どもは仕事をしていることもあり、家にマサヨさん一人になる時間もあるそうです。
そんな時、もし災害が迫ったら…。
(防災無線)「指定避難所へ移動してください」
「戸津さんが連れていくげな」
マサヨさんの息子と2人がかりでマサヨさんを車に乗せ、避難所へと向かいます。
約10分後、避難所に到着。受付を済ませて避難は完了です。
要支援者 吐合マサヨさん(94)「お世話になりましたっていう(気持ちで)いっぱいですなあ」
―ー息子さん一人だと母親を支えるのに不安な部分も?
吐合さんの息子・清敏さん「不安があるからですね。来てもらえるというのは良いことだと思います」
支援者も避難する時のイメージがわき、役割を自覚したようです。
マサヨさんの支援者 戸津新介さん「とにかく自分の体が動く限りは“人の命を守るために動かなければならない”という使命を感じました」
一方で、自分も危険な状況に巻き込まれるおそれがある場合、どこまで支援できるのか。支援者の胸の内には不安や迷いもあります。
戸津さん「外に出ていいものなのか、という心配がある。いざという時には」
「僕が動けなくなったら被害が広がる」集落唯一の20代
車いすを押すのは、集落で唯一の20代という浅葉広明さんです。浅葉さんは1年半前に神奈川県から球磨村の松谷地区に移住。
地域おこし協力隊としてジビエの活用に取り組んでいます。
「この人が居なかったらこのジビエは潰れてしまうで」
村でもすっかり頼られる存在です。
浅葉広明さん(26)「普段から助けてもらってるので、そういうとき(緊急時)には少しでも恩返しできればと考えています。身の安全を優先するというのが第一だと思うんですけど、僕が動けなくなったらさらに被害が広がる可能性もあるので、そこはもう…難しいですね」
その時、自分はどうするか――「明確な答えのない問い」にどう応えるべきなのでしょうか?
球磨村 中渡 防災管理官「改めて絆が強い村だと良く分かりました。気になったのが、“使命”や“自分が行かなければ”という言葉。素晴らしいことだけれども、どこかで自分の身の安全を守ることを優先してほしい。自分の身を守ることが周りの身を守ることにつながる」
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