金沢百万石まつりに、強い思いを持って臨んだ人がいます。地震の被害を受けながらも能登から唯一の太鼓の打ち手として参加した男性の思いに迫ります。
6月1日。百万石行列の出発式を彩った和太鼓の演奏「飛翔の刻(ひしょうのとき)」。県太鼓連盟に所属する143人が圧巻のパフォーマンスを披露しました。
輪島市に住む今井昴(いまいすばる)さん(31)。被災地・能登から参加した唯一の奏者です。
今井さん:
「地域の方たちが石川県代表の祭りだから出てきてよって…。僕、能登代表で出させていただいていると思っているので、とにかく一撃・一撃…」
輪島市河井町(かわいまち)。能登半島地震の影響で今井さんの自宅も被害を受けました。今井さんは、「見た目は大丈夫ですが、少し電柱が倒れかかって危ないとのことで、応急危険度判定で赤になっていたんです。いまは、大丈夫になっています…と話します。
地震発生直後から停電や断水が続いたほか、自宅に電柱が倒れかかっていたため今井さんは家族と近くの避難所へ。自宅に戻ったのは地震発生から4カ月後のことでした。
今井さん、家の中はまだ1階しか片づけていないそうで、2階や3階はぐちゃぐちゃだとか。それでも何とか、住めるようにしたそうです。
そんな自宅の駐車場で毎日欠かさず行っているのが…体づくりのため、自分で考えたトレーニング。使っているのは側溝のグレーチングや廃タイヤなどです。
今井さん:
「あるものをつかってやらないと何もないので…」
今井さんが太鼓を始めたのは小学3年生のとき。高校卒業まで地元のチームに所属し、その後、奈良県にあるプロの和太鼓チームへ。7年前に輪島へ戻ってからは個人での活動を中心に全国のイベントなどで演奏を続けています。
今井さん:
「もう傾いていてこっちはもう使えないので…」
やってきたのは輪島市の廃校となった小学校の体育館。今井さんはここで太鼓の個人練習を行っています。今井さんは、結構前に廃校になって太鼓の人たちみんなで使って下さいということになったんですけど、そのあと震災になってみんな練習できていないと思いますと話します。
震災後、1カ月間は太鼓に触れることがなかった今井さん。生きるか死ぬかみたいな状態で避難所にいて、太鼓叩いてよって、少しずつ言われるようになったと言います。そして太鼓にいざ触れると、楽しく、音を聞くと嬉しく、これしか自分にはないと思ったそうです。
本番前最後の合同練習。一緒に演奏する仲間と顔を合わせるのは地震後初めてです。大太鼓のセンターを務める奥村魅音さん(18)は、震災が起きて、すぐ昴さんに連絡しましたが、こうやって顔を合わせることができてとても安心していますと話していました。
練習を指導するのは世界的に活躍する和太鼓奏者の木村優一(きむらゆういち)さん。本番で演奏する「飛翔の刻」の作曲者です。
今井さんと木村さんのやりとり:
「よろしくお願いします」
「きょう来たの?」
「きょう来ました」
「何時に出たの?」
「6時です」
「大変やね」
「奥能登からの参加なんでがんばっていきましょう。特別な思いもあると思うけど」
木村優一さん:
「この飛翔の刻をやった最初の年(おととし)の大太鼓のセンターだったし、彼が命あるかどうかということはすぐに気になりましたから、オーデション受けに来てくれるという情報を聞いただけでも涙出るくらい嬉しかったですね」
神戸市出身の木村さんも高校生の時に阪神淡路大震災で被災しました。その時、避難所で太鼓を演奏したことがきっかけでプロの道に進みました。木村さんは「神戸の地震の時に太鼓の持つ不思議な魅力に気がついた。30年近く太鼓をやって人間の内から出てくるパワーを太鼓は宿しているんだ」と話します。
百万石行列当日。参加者が手で音を鳴らし、最後のリハーサルが始まりました。
木村さん:
「自分は本当に緊張しいなので、能登のみなさん力を貸して下さいとお願いをしていました」
太鼓が金沢駅の正面に運ばれ、いよいよ本番です。
この日は能登半島地震の発生からちょうど5か月となる節目の日。能登への思いを太鼓に込めます。
演奏が終わり、木村さんは、「みんなとこうやってできて幸せな時間でした。今はまだ進んでいないことも多いんですけど、こうやって一歩づつ音を鳴らすようにいろんなものができていくと思いますんで、また能登にも遊びに来てほしいですし、
この百万石まつり、本当に楽しかったですありがとうございました。」と感謝していました。
6月3日にも震度5強を観測するなど不安な日々が続く中、今井さんはこれからも、能登の思いを背負って太鼓を打ち続けます。
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