『大造じいさんとガン』=椋鳩十・著(偕成社文庫 880円)
中学受験を志していた私にとって、小学校の国語の教科書は設問のための文章という感覚でしかなかった。それに授業はどれも塾で習ったものばかりで退屈で、物語に夢中になることもない。ただ唯一、図工だけが楽しみだった。なにかを作るのが好きで、将来の夢を発明家と書いていた。そんな国語と図工が組み合わさったとき、私の心はときめきの方が勝った。
現在も小学五年生の国語教科書に載っている椋鳩十(むくはとじゅう)の『大造じいさんとガン』は、齢(よわい)72の老狩人である大造じいさんから聞いた話を土台とした物語だ。大造じいさんは毎年群れを率いて沼地にやってくる“残雪”と名付けられたガンの頭領をいまいましく思っていたが、知恵比べの時を過ごすうちに心変わりをする。そして仲間を守るため傷だらけになってまでハヤブサに挑む残雪の姿に胸を打たれた彼は、手当てを施し、翌年には真剣勝負を誓って空へと放ち、残雪を見守る――。
この物語を読んで読書感想画を描くのが授業の課題だった。読書感想文ではなく、読書感想画。読んで思ったこと、感じたことを“絵”にするとなれば、図工好きの私は大造じいさんと残雪よろしく本気で臨んだ。
私はこの物語から、なにかをもらったように思った。それが残雪の生き様か、大造じいさんのフェアネスか、あるいはまた別のなにかかはわからない。ただ感じたものを絵にしたかった。そしてプレゼントの箱を紙一面に描いた。黄色い背景に白い箱に赤いリボン。完成した絵は、とてもしっくりきた。
生徒の描いた絵は廊下に貼られた。私は愕然(がくぜん)とした。私以外の全員が、大造じいさんとガンそのもの、あるいはハヤブサとガンの死闘を描いていた。
なぜか悔しくなった。どれもこれも物語を描き起こしただけで、挿絵のようだった。それが悪いわけじゃない。だけど文章をそのまま絵にしただけの彼らに納得できなかった。そして私はひとり、(そちら側にはいかない)と誓った。
それこそ、大造じいさんの思考に影響されたのかもしれない。今ではそういう読書感想画だっていいじゃないかと思っている。だけど私は、もう一度絵を描くとなってもそうはしないだろう。あの日勝手に誓ったものを、私はずっと守っている。(アーティスト、作家)
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