(左から)講談師、神田伯山と人間国宝の神田松鯉(水沼啓子撮影)

伝統芸能の継承をテーマにしたシリーズ公演「古典芸能を未来へ~至高の芸と継承者~」(NHKエンタープライズ、「古典芸能を未来へ」実行委員会主催)が5月28日、東京・明治座で開催される。これまで日本舞踊や狂言などが取り上げられてきたが、5回目となる今回は講談。出演する講談師で人間国宝の神田松鯉(しょうり)(81)と弟子の神田伯山(40)が、芸への思いを語った。

師の苦悶、煩悶を継ぐ

公演のテーマでもある芸の継承について、松鯉は「受け継ぐということは、せりふや調子とかを師匠とそっくりにやるという意味ではない。最初は師匠の通りにやらないといけないが、やっていくうちにだんだんと自分の個性とかが出てきて、自分の芸に昇華させていくのが伝統だと思う。伝統とは発展を伴うものだ」と語った。

伯山は「講談の台本は師匠からいただくが、自分ならどういうふうに味付けすれば、目の前のお客さまに喜んでいただけるか。自分の教科書をつくらなければいけないのが面白い」と話した。

また、伯山はお笑い芸人の養成所などの例を挙げながら「伝統芸能においてはスクール化には大反対」と断言。「師匠の高座をみて勉強することは多い」と師弟制度の必要性を説き、こう続けた。

「今の時代とどう向き合い、どうしたら今のお客さまに講談を聞いていただけるか。その煩悶、苦悶を、うちの師匠は人間国宝でありながら繰り返している。その背中を見続け、僕自身も死ぬまで繰り返す。それが伝統芸能の意味ではないかと思う」

これを受け、松鯉は「死ぬまで芸の完成はない。死ぬ日まで暗中模索で、私も成長過程にある。亡くなった時点で、その人の芸が定まる。もう成長できないわけだから。私も、もう少し頑張るつもりだ」と意気込みをみせた。

松鯉が講談の世界に入門した当時、講談師は30人に満たず、「本当にどん底だった」という。「講談決死隊といわれた。落語は相変わらず全盛を誇っていたので、何とか講談の全盛時代を築きたいと思って、がむしゃらにやってきた」

ネット動画で再評価

いったんは衰退した講談だが、動画投稿サイト「ユーチューブ」などで伯山の講談を目にした人たちの間で再評価されるようになり、伯山は「いま最もチケットが取れない演者」といわれるほどの人気講談師となった。

松鯉は「伯山を筆頭に若い人たちの力で最近、講談に光が当たるようになった。ありがたい最晩年を迎えることができた。あとは思い残すことなく若い人たちに託し、持っているネタは全部継承してもらいたい」と若い世代に期待を寄せた。

明治座での公演では、松鯉が「乳房榎」を口演するほか、伯山が「お岩誕生」など講談2席を披露。また、坂東巳之助による歌舞伎舞踊「浦島」のほか、尾上菊之丞、市川染五郎、藤間紫による舞踊「平家物語 与一の段」が上演される。問い合わせは、いがぐみ(03・6909・4101)。

講談 武将や俠客などが登場する話を、張り扇で釈台をパパンとたたきながら調子良く語る大衆芸能。講釈とも呼ばれ、幕末から明治にかけ全盛期を誇った。天保年間(1830~44年)には、江戸だけで800人ほどの講談師がいたとされる。現在、東西合わせて約100人。

かんだ・しょうり 昭和17年、群馬県出身。歌舞伎俳優などを経て、45年に二代目神田山陽に入門。平成4年、三代目神田松鯉を襲名。令和元年、重要無形文化財(人間国宝)認定。3年、旭日小綬章受章。

かんだ・はくざん 昭和58年、東京都出身。平成19年に大学を卒業後、神田松鯉に入門し、芸名は神田松之丞。24年、二つ目に昇進。令和2年、真打ち昇進と同時に講談・神田派の大名跡、六代目神田伯山を襲名。

(水沼啓子)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。