知っているようで知らない「名作」の楽しみ方や物語のツボを、作品への愛と一枚の「まとめ絵」とともに読み解きます。

神出鬼没な狐

人に化けるとされる生類の中でも、人々は「狐(きつね)」に特別に神秘的な思いを抱いてきた。民話からアニメに至るまで、妖力を持つ狐は魅力的なキャラクターとして描かれてきたが、殿堂入りの人気を誇るのが、文楽や歌舞伎の傑作「義経千本桜」の四段目の主人公「狐忠信(きつねただのぶ=源九郎狐)」だ。

絵・いんこせいじん

狐が化けたのは源義経の忠臣、佐藤忠信。兄、頼朝の追っ手から逃げた義経をかくまう吉野山の河連法眼(かわつらほうげん)の館を目指し、義経の恋人、静御前と旅をする。だが、館には本物の忠信がいて-。

「さてはそなたは狐ぢゃの!」。静御前が叫んだ瞬間、文楽では狐忠信の黒の着物が一瞬で脱げて白に火焔(かえん)の狐の衣装となり、歌舞伎では床下に消えた数秒後に縁の下から全身真っ白の毛に覆われた姿で現れる。

観客を翻弄し、ファンタジーの世界に誘う狐の神通力。その正体は「ケレン」というマジックのような演出で、神出鬼没な狐はラストまで息もつかせない。

源九郎狐は実は、義経が静御前に与えた「初音(はつね)の鼓」の皮に使われた狐夫婦の子だった。両親の魂が宿る鼓をそばで守り、親孝行したかったのだと涙する姿に、肉親の縁が薄い義経は心を打たれ、鼓を与える。

狐は狂喜乱舞し、空に駆けていく。歌舞伎では二代目市川猿翁が昭和43年に観客席の上を飛ぶ「宙乗り」を復活させたが、文楽でも人形遣いごと人形が満開の桜の上を飛んでいく。同時に義経たちがいる館が舞台下に沈んでいくことで、空撮のような浮遊感を生む演出は、狐を愛してやまない人形遣いの人間国宝、桐竹勘十郎(71)の工夫で生まれた。

暗い過去を背負いながらも、子供のように純粋でエネルギッシュな源九郎狐。その神秘性を最大限引き出すケレンは、観客を楽しませたいと願う演者の飽くなき努力と情熱と遊び心で、進化し続けていく。(田中佐和)

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