ピアノを弾きながら作品の説明をした仲道郁代=東京・銀座のヤマハ銀座店(江原和雄撮影)

ピアニストの仲道郁代が「夢は何処へ」と題したコンサートを5、6月に開く。「ザ・ロード・トゥ・2027」と題したリサイタル・シリーズで、今回はベートーベンのピアノソナタ第27番、第13番、第14番「月光」とシューベルトのピアノソナタ第18番「幻想」を演奏する。「ベートーベンのソナタにおいて私が見いだす世界に触れてほしい。ベートーベンの作品を並べることでその意味を浮き彫りにします」と話す。

没後200年に向けて

このシリーズはベートーベン(1770~1827年)の没後200年となる2027年に向けて、18年に始まった。10年にわたるコンサートで、1年に春のシリーズと秋のシリーズがある。毎回、仲道の考えたテーマで貫かれたプログラムで、「パッションと理性」で始まり、「悲哀の力」「音楽における十字架」などと続いてきた。仲道はリサイタルを前に、今回の曲目の趣旨を説明する会を開いた。

「この20回にわたるシリーズも半ばを超えました。一段も二段も私にとっての音楽の本質、私が追い求める世界へと公演内容が深まっている実感があります。それは日ごろのコンサートにも反映されていると感じています。そして最近始めたベートーベンのピアノが入った室内楽作品を全部弾くというシリーズからの発見がとても大きくて、ソナタを演奏するときの意味付けや考え方に大きく光を当ててくれています」と話し始めた。

「夢は何処へ」のポスターと仲道郁代 (江原和雄撮影)

「幻想」と3つの共通項

ベートーベンのピアノソナタ第13番と第14番「月光」は同じ作品番号27として1802年に出版され、ピアノソナタ第27番は1814年に作曲された。ベートーベンは20代から難聴が進む中で作曲を続け、1802年には「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き、自殺も考えたほど。シューベルトの「幻想」は、ベートーベンが亡くなる前年の1826年に作曲され、ベートーベンの影響が感じられる。

「今回は、私の中では『響きの中にさめざめと泣き続けたいような夢』の曲であり、『聴こえない響きを聴く』というプログラムです。『夢は何処へ』の夢は、理想や郷愁、何かとても美しいもの、あるいは悲しい何か絶対的なもの、もしかしたら死の世界かもしれません。今いる場所が夢の場所であれば探す必要はないわけです。ベートーベンやシューベルトはいずこかにある夢にたどりついたのか、ということを今回の曲で感じてもらえれば」と話す。

仲道はベートーベンの3曲とシューベルト「幻想」の音楽を特徴づける共通項を3つ挙げ、ピアノを弾きながら説明した。1つは規則的な同音連打のモチーフから見いだす永遠性。2つ目は半音の世界。3つ目は言葉と音楽。

すぐ隣にある「死」

「とても不思議なのですが、同音を刻んでいくことは時間が続いていることを表現するとともに、時間のないことも表現できます。それが永遠ということかもしれません。音が半音移ることは、生の世界と死の世界がすぐ隣にあるということです。シューベルトのソナタはベートーベンのピアノ協奏曲第4番の出だしが似ているといわれます。私のドイツの先生はこの協奏曲の第2楽章は『オルフェオとエウリディーチェ』の物語と言っていました。生きている国と黄泉の国の物語です。シューベルトのソナタにも、すぐそこに死があるという世界を見いだせます」

仲道の曲の解釈は「夢は何処へ」というテーマで終始一貫していた。

「演奏家は『こういうふうに聴こえるべき』となりかねない。しかし、それぞれの作品は多面的、多重的な、多元的な意味があり、それが作品の豊かさといえます。絶対的にこれが正しいという解釈はなく。どういう角度でその曲を見ることによって、いろいろな光が見えてきます」と話した。

コンサートは5月11日、アクトシティ浜松、19日、兵庫県立芸術文化センター、25日、宗次ホール(名古屋)、6月2日、サントリーホール(東京)。(江原和雄)

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