江戸時代末期の備中松山藩士で藩政改革などに活躍した山田方谷が弟に宛てた書状が高梁市で公開されています。
公開されているのは、山田方谷が大坂で医学を学んでいた弟の平人に宛てた2通の書状で、6月26日が方谷の没後147年となるのにあわせて展示されています。
このうち1844年8月に出された書状では、弟を気遣うとともに、当時方谷が教育係を務めていたのちの備中松山藩主、板倉勝静が学問や稽古に励んでいる様子を伝えています。
もう一通の書状には、板倉勝静が領内を見て回った時、身なりや振る舞いが質素だとして村人から褒めたたえられたことが書かれ、方谷が思い描いていた理想の藩主の姿を知ることができます。
(高梁市教育委員会 川上真奈主事)
「次期藩主となる(板倉)勝静と方谷の関係性についてわかる書状になっているので、そういったところを感じてもらえれば」
この書状の展示は、8月末まで高梁市山田方谷記念館で行われています。
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