重要無形文化財の保持者(人間国宝)に選ばれたのを受けて、浪曲師の京山幸枝若さん(70)は大阪市内で記者会見し、満面の笑みを浮かべた。
◇
浪曲界で初の認定という快挙に、「死ぬ間際でもええから、認定してほしいと思っていた。感無量でございます」と喜びを隠さない。力強く伸びやかな節回しと、親しみやすい関西弁を交えた軽妙な啖呵(たんか)(せりふ)で聴衆を引き込んできた。
1973年、父の初代京山幸枝若に入門。浪曲を取り巻く環境は厳しく、劇場で出番になると、観客が一斉に席を立つような「冬の時代」も経験した。「落語や漫才、吉本新喜劇に転身しようかと思ったこともある」と明かす。
それでも「自分にはこれしかできない」と腹をくくり、「落語浪曲」など観客を飽きさせないよう試行錯誤を繰り返した。「『俺のまねはできんやろ』という気持ちで舞台に立った」と振り返る。「昭和の喜劇王」と呼ばれた藤山寛美の舞台を見て絶妙の「間」を参考にするなど、ジャンルを問わずさまざまな分野の芸を学んだ。
夢は、日本中の人に浪曲を知ってもらうこと。今後は若手育成のために塾を作って歴代の名人たちの「節」を継承しようと情熱を燃やす。後進の育成は一朝一夕にはいかない。「苦しいけど楽しい。それが芸です」と語った。【谷口豪】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。