関西フォークの第一人者、フォークシンガーの高石ともや(たかいし・ともや、本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが17日、病気のため死去した。82歳。葬儀は近親者で営む。
1941年、北海道生まれ。立教大在学中の66年に関西を訪れ、大阪労音フォークコンサートに出演。日本中を巡り、学生や労働者の集会で歌い始め、ベトナム反戦市民運動「ベ平連」の中心メンバーだった小田実さんや鶴見俊輔さん、作家の開高健さんらと親交を深めた。
68年にリリースしたレコード「受験生ブルース」が累計90万枚を超える大ヒットを記録した。69年に一度、歌手を引退し渡米。70年に帰国し、音楽活動を再開した。
71年、ギタリストの城田じゅんじさんらとフォークバンド「ザ・ナターシャ・セブン」を結成。73年に永六輔さんらと始めた京都の夏の風物詩「宵々山コンサート」は中断をはさみ、2011年まで続いた。年末恒例の「年忘れコンサート」は22年まで、通算47回を数えた。
国内外のマラソンやトライアスロンの大会に参加。ホノルルマラソンには77年の初参加以降、繰り返し挑戦した。著書に「さあ、陽気にゆこう フォーク・ソング年代記」など。
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