[金平茂紀のワジワジー通信 2024](20)
どうしようもないほど気が重くなった。法廷で同じく傍聴取材していた僕よりはるかに年齢の若い地元メディアの記者(男性)が、休憩時間中、紙面には記せないような言葉を吐き捨てるようにつぶやいていた。持っていき場のない怒りから思わず出た言葉なのだろう。先月に引き続き、今月も米軍嘉手納基地所属の空軍兵による少女性暴行事件について書く。
8月23日に那覇地方裁判所で第2回公判が開かれた。実は僕はその前の週に、政変直後のバングラデシュに取材に入っていて、久しぶりに現場の息吹のようなものに触れ、精神がいくぶん高揚していたのだった。ところが沖縄に戻ってきて公判を傍聴し、今回の沖縄の米兵事件が内包している現実の深刻さに一気に引き戻されたのだった。もっと自分たちの足元をしっかりと見よ、と。
23日の法廷は異例ずくめだった。大体が法廷のど真ん中にほぼ天井まで届くほどの高さの大きなグレーの衝立(ついたて)が設置された。被告の米兵から少女は見えないように遮蔽(しゃへい)されていた。米兵は散髪に行った直後のように髪がこざっぱり整えられ、糊(のり)のきいた白ワイシャツと黒ズボンという初公判と同じ服装だった。裁判官と検察官からは少女が見える。
この日、被害に遭った16歳未満の少女(実年齢はこの日の証人尋問で明らかになったが、少女の特定につながるような情報を詳細に報じることは避ける)のプライバシー保護と、被害少女と加害米兵が同じ空間(法廷)に立ち会うという特殊事情を配慮しての措置(遮蔽)が取られた上で、少女に対する証人尋問が行われた。僕ら傍聴席からは少女の姿は見えなかったが間近でその肉声を聞いた。その声はまごうことなく少女=子どもの声だ。
被害者が自分がこうむった被害の詳細な状況を第三者に対して口に出して語るというのは(しかもその法廷には加害者がいる)、それ自体が深刻なトラウマ(心的外傷)を再度刻印することがある。検察官の時折ディテールにまで立ち入っていた質問に対して、被害少女は懸命に誠実に答えようとしていたように思った。僕は廷内で必死にメモを取ったが、その全文をここに記すことは憚(はばか)られる。あまりにも微に入り細に入り聞かれていたからだ。
ただ新聞記事やテレビニュースの限られた文字数、時間数からは残念ながら抜け落ちてしまったことに重要な意味があることがあるものだ。それらのいくつかを記しておく。
最大の驚きは、この少女が事件以前にも、外国人男性に自宅付近で車から声をかけられ、路上でキスをされるなどの性被害に遭っていたことを証言したことだ。その際に外国人男性から「これは僕の家だ」と指示された「白い家」(実際には家の色を証言していた)が少女の記憶に刻まれていた。もし同一人物だとすれば、この米兵には「常習性」があった可能性がある。この「白い家」は重要な意味を持つ。今回の12月の起訴対象の事件の現場が同じ「白い家」という特徴を持っていたからだ。
「白い家」とは何か。在沖米軍基地の軍人・家族の中には、基地内の住宅ではなく、基地の外で米軍人仕様の特別な「基地外住宅」に住む軍人らが多数いる。僕は以前、そうした米軍人専用の住宅地を取材したことがある。平均的な沖縄県民の住宅に比べると、間取りが比較にならないほど広くゆったりと設計されており、電源も220ボルト対応可能となっている。システムキッチンも完備され、ベッドルームも広い。軍内での位が高ければ高いほど広い住宅に住むことができる。
光熱費の一部が日本政府の思いやり予算によって負担されていたことが判明しているが、住宅手当は「米側の全負担」という米国防総省の説明を僕は信じていない。
被害に遭った少女は、「白い家」に連れていかれて、そこで米兵はルームツアーと称して少女に家の中を見せている。寝室にあった軍服を見せたりしていた。リビングルームには大きなソファとテレビセットがあって、この米兵は少女に、米国の人気歌手のYouTube映像などを見せていた。そのソファが犯行現場となった。少女は公園で声をかけられた時から一貫して自分の実年齢を日本語と英語とジェスチュアで相手に伝えていた。この米兵は少女に自分は19歳だと伝えていたようだ(実際は25歳)。別れ際にこの米兵は「今日あったことは内密にしてほしい」と少女に言い渡していた。
事件後、この少女は心のバランスを失い、自傷行為に及ぶなどサポートが必要な状態になっている。検察官の最後の方の尋問に対して少女は次のように答えていた。「…自分の感情がコントロールできなくなって自傷行為に…(詳細は略)…両親に対して申し訳なくなり、自己嫌悪に陥ります。…(長い沈黙)…(犯人は)自分が犯してしまった罪の重大さを分かってほしい…(詳細は略)…被害に遭っていろんな人からサポートを受ける中で、自分もそういう人を助けることができたらなと思っています。スクールカウンセラーになって同じ目に遭った子どもたちを助けたいと思いました」
米兵には複数の弁護士が付いている。1人は宜野湾市に事務所を置く日本人弁護士だ。彼らは依頼人である米兵の人権を護(まも)るのだろう。では被害少女の人権とケアは誰が受け持つのか。ましてや沖縄県警、外務省、那覇地検は、沖縄県に対して何と半年以上、この事件の発生を連絡・通報さえしなかった。その半年間、県や自治体は再発防止の取り組みや被害少女のケア、米軍への注意喚起もできたはずではなかったか。
状況は〈1995年〉当時よりも、さらにさらに悪化している。その精神の植民地度において。
(テレビ記者・キャスター)=随時掲載
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