内気な大学講師のゲイリーは変身技術を駆使しておとり捜査に協力し(写真右)、夫に虐げられるマディソン(左)と出会う ©2023 ALL THE HITS, LLC ALL RIGHTS RESERVED

<リチャード・リンクレーター監督の最新作はセクシーで小粋なムードに、変幻自在な主演グレン・パウエルの演技が光る上質なロマンチックスリラーだ──(レビュー)>

リチャード・リンクレーター監督の22作目の長編映画『ヒットマン』は、出世作になった第2作『スラッカー』(1991年)と同じく、ちょっとした哲学談議で始まる。

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『スラッカー』の幕開けでは、リンクレーター本人が演じる男性が地元テキサス州オースティンの街中を走るタクシーの車内で、退屈顔の運転手を相手に持論を語っていた。自分が選ばなかった選択肢はどれももう1つの現実を生み出すが、視点が固定されているせいで、それを目にすることはできない──。


その後に展開する物語は、この説を画期的な形式で探っていく。風変わりな人物が次々に登場するが、彼らをつなぐのは偶然の出会いだけだ。

一方、最新作の冒頭では、リンクレーターの「分身」的俳優(で同郷の)グレン・パウエル扮する主人公が思索を誘う。

ニューオーリンズ大学で心理学と哲学を教える彼は、自己の再創造の可能性をめぐるニーチェの著作の一節について講義中。『スラッカー』と同様、その後の物語は、自己再創造という概念を遊び心たっぷりに探求する。

作品構成は画期的とは程遠いが、『ヒットマン』はありがちながらも確実に楽しめる「ペテン師もの」になっている。

正確に言えば、人をだます才能によって、主人公が本当の自分を発見するというジャンルの映画だ(スティーブン・スピルバーグ監督作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』がいい例だ)。

本作の元ネタは、ジャーナリストのスキップ・ホランズワースが2001年にテキサス・マンスリー誌で紹介した実話だ。リンクレーターは同じ筆者の別の記事を、犯罪コメディー『バーニー/みんなが愛した殺人者』(11年)として映画化したことがある。


主人公のゲイリー・ジョンソンは地元の大学で非常勤講師を務める一方、自身の特殊なスキルを活用した仕事をしている。地元警察のおとり捜査の一環としてプロの殺し屋を演じ、殺人依頼者の逮捕に協力しているのだ。

ゲイリーはウィッグや衣装、時には義歯も駆使して、依頼者それぞれに応じた殺し屋像を作り上げる。あるときは、映画『アメリカン・サイコ』の主人公をヒントにしたオールバックヘアの魅力的な男性。またあるときは洗練されたイギリス人。ひげ面のバイカー風に変身することもある。

依頼者との会話からは人間の闇が浮かび上がるが、ゲイリーがさまざまな変装を試すシーンはコミカルだ。同時に、彼が恐ろしくこの仕事に向いていることも示している。

大学で心理学を教えるゲイリーは殺し屋を「演じて」警察に協力している ©2023 ALL THE HITS, LLC ALL RIGHTS RESERVED

「必見映画リスト」の一作

普段のゲイリーは孤独で内気だ。だが「動じない男」キャラのロン(要は、より自信に満ちてセクシーなバージョンの自分自身だ)を作り上げた日、彼は新たな依頼者マディソン(アドリア・アルホナ)と出会う。

刑事らが盗聴するなか、マディソンは「ロン」と一緒にパイを食べながら、殺してもらいたい相手である横暴な夫について語る。この混乱した(おまけに美人なのは偶然ではない)女性に同情したゲイリーは、逮捕につながる発言を引き出そうとせずに、殺害計画を諦めるよう誘導する。


物語の後半は意外な展開だらけだから、あらすじの紹介はここまでにするべきだろう。「ロン」の助言どおりに夫の元を去ったマディソンと、彼女に「世界で最も繊細な心を持つ殺し屋」と思われているゲイリーが、熱烈な恋に落ちると知っていれば十分だ。

職業倫理に反するマディソンとの情事を知られることを恐れたゲイリーは、関係を秘密にしようと主張する。プロの殺し屋のふりをしながら、夫の殺害を諦めるよう説得した女性と関係を持つのは、持続性のある恋愛モデルとは言えない。

それでも、この意外性に満ちたフィルムノワール的カップルは、いつの間にか応援したくなる。

さまざまなジャンル映画の要素を含むとはいえ、本作の本質は心地よい「バディムービー」だ。小粒ながらも、数あるリンクレーター作品の楽しい入門編になっている。カリスマ性のある主役の演技を通じて、実話犯罪ものをほろ苦い人物描写に変える点は『バーニー』と似ている。

独特の魅力を持つニューオーリンズの街角を舞台にしているのは、視覚的に気が利いている。法的・倫理的ジレンマが深まるなか、ゲイリーは法律と欲望の交差点を走り抜け、畏敬と快楽が交わる人生の岐路で立ち止まる。

こうした精神的葛藤が最後まで十分に描かれているとは言えない。確かに、巧みなどんでん返しが少なくとも1つ待っているが、リンクレーターほど深いテーマを扱う監督の作品には、より高いレベルの複雑さを期待してしまう。

それでも、気取りがなくてセクシーで小粋なムード、見事なほどスピーディーな展開、笑えて感動的で変幻自在なパウエルの演技が光る本作は、「必見映画リスト」に加える価値が十分にある。

なかでもパウエルは、スターになるのは確実(まだそうでないなら、の話だが)の存在感を発揮している。さらに感心するのは、パウエルがリンクレーターと共同で脚本を手がけ、たくましい腹筋だけでなく、自身の演技の幅も見せつける作品にしたことだ。

映画界には、これくらい質の高いロマンチックスリラーを作り続けてほしい? ならば、配信を待つのでなく、映画館で本作を見てほしい。

©2024 The Slate Group


HIT MAN
ヒットマン
監督╱リチャード・リンクレーター
主演╱グレン・パウエル、アドリア・アルホナ
日本公開は9月13日

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