アディダスのユニフォームを着たドイツ代表(今年3月) STEFAN MATZKE-SAMPICSーCORBIS/GETTY IMAGES
<70年以上の関係を解消し、ドイツサッカー協会が米企業ナイキと契約したのはなぜか。「3本線がないのは想像できない」と反発が渦巻いている>
スポーツチームがユニフォームのメーカーを変更しても、普通は新聞の1面に載らないし、強い反発を招くこともない。だがサッカーのドイツ代表は、普通のチームではない。そして長年のスポンサーであるアディダスも、ただのスポーツ用品メーカーではない。
ドイツサッカー協会(DFB)は3月21日、代表ユニフォームのサプライヤーをドイツのアディダスからアメリカのナイキに変更する契約を結んだと発表。これが政治色さえ帯びた国内の怒りに火を付けた。アディダスは70年以上にわたってドイツ代表のパートナーだった。
2027年に始まるナイキとの契約は、年間約1億1000万ドルと報じられている。アディダスとの契約額の約2倍だ。DFBは借入金があるほか、税金の未納をめぐる訴訟も抱え、ナイキのオファーを断る余裕はなかった。
しかしDFBが「透明で無差別な入札手続き」の結果だと淡々と述べたプレスリリースを出すと、国内に反発が渦巻いた。政治家も党派を超えて、DFBの決定を批判した。
「代表チームは(アディダスの象徴である)3本線でプレーする。これはボールが丸く、サッカーの試合が90分であることと同じくらい自明だ」と、バイエルン州の保守派の州首相マルクス・ゼーダーはX(旧ツイッター)に投稿。アディダスとの決別は「理解できない」と嘆いた。
マルクス・ゼーダー州首相の投稿#DFB und #Adidas: Der deutsche #Fußball war immer auch ein Stück deutsche Wirtschaftsgeschichte. Die #Nationalelf spielt in drei Streifen - das war so klar, wie dass der Ball rund ist und ein Spiel 90 Minuten dauert. Die Erfolgsgeschichte begann 1954 mit dem unvergessenen... pic.twitter.com/L51TPrpQSj
— Markus Söder (@Markus_Soeder) March 22, 2024
ヘッセン州のボリス・ライン州首相は、ユニフォームの胸にあるワールドカップ(W杯)の優勝回数を示す4つの星のそばには、アディダスの3本線のロゴがあるべきだと発言。緑の党に所属する連邦政府のロベルト・ハベック副首相も「3本線のないドイツのユニフォームなど想像し難い」と述べ、ナイキの「スウッシュ」に替えるのは「ドイツのアイデンティティーの一部」を捨てることだと語った。
ボリス・ライン州首相の投稿Die drei Streifen gehören natürlich zu den vier Sternen, die wir auf der Brust tragen. Der Weltmeister trägt #Adidas. Immer schon. Gute Freunde kann niemand trennen - das war einmal. Deshalb tut die Entscheidung des #DFB weh. #Nike pic.twitter.com/UU6L4vdFqX
— Boris Rhein (@Boris_Rhein) March 22, 2024
ドイツにおいてサッカーの代表チームは、最強の国家的シンボルだ。そしてアディダスはドイツの地方の同族会社から世界市場を制するまで成長し、経済大国となった戦後のドイツを多くの意味で体現している。行きすぎた愛国心を嫌うドイツだが、スポーツと輸出は国民的アイデンティティーの2本柱と言っていい。
ドイツの伝説を支えた
アディダスはドイツサッカーの伝説と深く結び付いている。1954年にスイスで開かれたW杯の決勝で、圧倒的に優位とみられていた強豪ハンガリーに西ドイツ(当時)が逆転勝ちした試合は「ベルンの奇跡」と呼ばれる。この勝利を支えたといわれるのが、アディダスの創業者アディ・ダスラーが開発した革新的なシューズだ。
当日は大雨。その中で西ドイツが勝った要因の1つは、靴底のスタッドがコンディションに合わせてネジ式で取り替え可能なことだったとされる。この勝利は、戦後の西ドイツが国際社会に復帰する後押しになったともいわれる。
以来、アディダスはドイツサッカーとの結び付きを保ったが、今回の離別を機に語られているほど強い絆でもなかった。74年のW杯でも、西ドイツは大半の選手がアディダスのシューズを履いて優勝を遂げたが、代表ユニフォームはライバルのエリマ製だった。
代表との関係から売り上げを伸ばしたアディダスは、やがて外国の一流選手や有力チームとスポンサー契約を結ぶ。特筆すべきなのは、70年代に共産圏諸国と独占契約を結んだことだ。この流れから80年のモスクワ五輪で、ソ連選手団がアディダスのトラックスーツを着用。アディダスは東欧で大人気となり、このトレンドは今日まで続いている。
アディダスのルーツは、バイエルン州出身の兄弟がつくった会社だ。ルドルフとアドルフ(アディ)のダスラー兄弟は1920年代にシューズの販売を始め、30年代にはオリンピック選手に提供することで台頭した。アメリカの伝説的な陸上選手ジェシー・オーエンズは、36年のベルリン五輪で兄弟のシューズを履いて4つの金メダルを獲得した。
オーエンズはダスラー兄弟のシューズを履いてベルリン五輪で4つの金メダルを獲得 LOTHAR RUEBELTーULLSTEIN BILD/GETTY IMAGES48年に2人がたもとを分かった理由は、今も謎に包まれている。これ以降、兄弟は二度と口を利かなかったとされ、互いに競合するスポーツシューズの帝国を立ち上げた。
このときアディがつくった会社がアディダスだ(社名はアディ・ダスラーの略)。兄のルドルフが創設した会社は最初「ルダ」(ルドルフ・ダスラーの略)と名付けられたが、すぐに「プーマ」に変更された。
その後、世界屈指のスポーツシューズメーカーに上り詰めたアディダスとプーマは、第2次大戦の敗戦国であるドイツが世界に冠たる工業大国にのし上がった「経済の奇跡」を象徴する存在になった。
2つの会社は「サッカーで世界の頂点を目指すだけでなく、輸出大国としても頂点を目指そうという、ドイツの不屈の精神を体現していた」と、ドイツのスポーツ文化史を専門とする英ダラム大学のケイ・シラー教授は言う。
こうした経緯を考えると、アディダスがドイツ代表との契約を失ったことの意味はあまりに重い。この数年間苦しい状況が続いていたアディダスは、今回の一件(同社にとっては青天の霹靂〔へきれき〕だったとされる)によりメンツをつぶされた格好だ。
アディダスは「イージー」ブランドの在庫を大量に抱え込んだ(セールに回されたスニーカー) SCOTT OLSON/GETTY IMAGES背景に輸出大国の苦悩
アディダスはこの春、過去30年以上で初の赤字決算を発表したばかりだった。22年秋にアメリカの人気ラッパー、カニエ・ウェスト(現在の本名は「イェ」)とのパートナーシップを打ち切らざるを得なかったことの影響が重くのしかかっている。提携解消により、ウェストとコラボする「イージー」ブランドのスニーカーの在庫を13億ドル以上も抱えることになったという。
もともとウェストはナイキと提携関係にあったが、13年にアディダスが彼との契約を獲得した。それ以来、「イージー」ブランドは莫大な利益をもたらしていた。ところが、ウェストが反ユダヤ主義的な発言を繰り返し、事業を継続できなくなった。
サッカーの代表チームにユニフォームを提供するメーカーがアディダスからアメリカのナイキに変更されるというニュースは、ドイツを悩ませている不安と経済低迷の傷口をえぐるものでもあった。
今回の決定に対してドイツ国内に湧き起こっている怒りの声は、過ぎ去った時代へのノスタルジアの側面もある。それは、ドイツ製品が世界中の市場に君臨し、フォルクスワーゲン製の大量生産車がドイツに繁栄をもたらし、メルセデス・ベンツのリムジンが世界の独裁政治家たちの御用達だった時代だ。
自動車もサッカーも凋落
その時代には、ドイツの同じ町で生まれたアディダスとプーマが世界のスポーツグッズ業界を席巻していた。そしてサッカーは、イングランドの往年のストライカー、ガリー・リネカーの言葉を借りれば「22人が90分間ボールを追い回し、最後はドイツが勝つ」スポーツだった。
しかし、いまドイツ経済は不振にあえいでおり、昨年はGDPが縮小した。自慢の自動車産業も電気自動車の時代への適応に苦しんでいる。フォルクスワーゲンの名声は、排ガス不正スキャンダルで地に落ちた。強大だった化学産業と鉄鋼産業も、エネルギーと労働のコスト上昇により存続が危ぶまれている。
ファンはアディダスとドイツ代表の長年の絆が失われることを惜しみ続けるかもしれないが、政治家たちの怒りはじきに収まるだろう。ドイツ経済が低迷するなかで、政治家が目を向けなくてはならない問題は多い。
しかしアディダスはドイツ代表の力を借りずに、長引く経営不振から脱却し、ライバルのナイキに再び追い付かなくてはならない。
ビジネス界の苦境と足並みをそろえるように、ドイツサッカーも不振を極めている。2014年の男子W杯では、開催国のブラジルを7-1で破り、決勝ではリオネル・メッシ擁するアルゼンチンを下して優勝した。しかし2018年と2022年には、2大会続けて1次リーグで敗退している。
6月から自国開催される欧州選手権(ユーロ)に向けて間もなく男子代表の合宿が始まる。場所は、バイエルン州ヘルツォーゲンアウラハのアディダス本社敷地内にあるトレーニング施設。アディダスのユニフォームを着たドイツ代表チームの姿を見られるのは、あと2年ほどだ。
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