自宅の庭でくつろぐ作家の三島由紀夫。新発見の書簡は、1950~59年まで住んでいた東京都目黒区緑ケ丘の住所が書かれており、時期の特定につながった=東京都目黒区で1958年4月、納富通撮影

 原題は<人間病>。作家・三島由紀夫(1925~70年)の代表作「金閣寺」の最初期の構想を記した未発表書簡が見つかった。55年11月の取材を中心にまとめられた「金閣寺創作ノート」より前の最も古い構想資料とみられ、専門家は「三島研究の空白を埋める重要な資料」として注目している。三島は25日に54回目の命日を迎える。

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 新発見の書簡は、三島が文芸誌「新潮」編集者だった故・菅原国隆氏に宛てたもの。菅原氏の家族が自宅整理中に見つけ、白百合女子大の井上隆史教授(日本近代文学)が確認した。

三島由紀夫が「金閣寺」の構想を思いついた直後に新潮の編集者・菅原国隆氏宛てに送った書簡。当初のタイトルとして「人間病」などと記されている=東京都内で2024年7月14日、渡部直樹撮影

 このうち、金閣寺に関する書簡は便箋2枚につづられ、日付は6月10日付。封筒に消印はなく手渡しとみられるが、三島の書体や記載された当時の住所、創作ノートとの類似点などの内容から55年と井上教授が特定した。

構想期間は半年

 <昨夜、来年の「新潮」の仕事の最初のテーマが浮び上がって来ました>

 三島は書簡の冒頭にそう報告しており、まさに小説の原構想が生まれた直後にしたためられたと分かる。すぐに編集者に伝える様子から、まめに手紙を書くことで知られる三島らしさや興奮が伝わってくる。

 <題は「人間病」(人間存在という病気の治療法について)あるひは「人間病院」といふのです>

 タイトルを示した後で、主人公の設定や展開案をこう続ける。

30歳前後とみられる三島由紀夫(左)と「新潮」編集者だった菅原国隆氏=菅原氏の家族提供

 <主人公には、社会的階級的性的なあらゆるコムプレックスを持った男且つ芸術家を設定します。その手記の形をとり、主人公は自分のかういふ病気を一つ一つ治してゆきます。物質の力で、また意志の力で>

 「金閣寺」は、翌56年の新潮「1月号」で連載が始まっている。書簡の日付を起点に考えると、連載開始まで半年程度のスピードで創作が進んだ経緯が浮かぶ。

 井上教授によると、<人間病>という原題は、人間の存在自体が病なのではないか、という思いが込められ、治療方法を探ろうとする意図が見て取れるという。

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 三島は来年1月、生誕100年を迎える。書簡は11月30日から日本近代文学館(東京都目黒区)で開催される企画展で公開される。【稲垣衆史】

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