トム・リプリーを演じるスコット NETFLIX
<同じ原作に基づく過去2作品とは一線を画す描写で詐欺師トム・リプリーの魅力を引き出そうとしたが>
1960年の『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが、99年の『リプリー』でマット・デイモンが演じた愛すべき詐欺師トム・リプリーが、21世紀に復活を遂げた。ただし映画ではなく、今回はネットフリックスの連続ドラマだ。
推理小説の大家パトリシア・ハイスミスが55年にデビューさせ、その後もシリーズ4作で育て上げた主人公トム・リプリーは病的な犯罪者であり、ゆがんだアメリカンドリームの体現者でもある。
もとは何のアイデンティティーもない男だったが、裕福な海運業者の跡取りで放蕩息子のディッキー・グリーンリーフに巧みに成り済まして上流社会への階段を駆け上がり、気が付けば自分本来の声すら忘れ、原作者ハイスミスの言う「自分の過去も自分自身も消し去った」存在へと落ちていく。
ちなみにネットフリックス版の『リプリー』では、主人公のトム(アンドリュー・スコット)だけでなく、脇を固める人たちの存在感も希薄だ。トムに消されてしまうディッキー(ジョン・フリン)も、彼の恋人マージ・シャーウッド(ダコタ・ファニング)も、裕福な浪費家フレディー・マイルズ(エリオット・サムナー)も、要は親の財産を食いつぶしているだけだ。
脚本はかなり原作に忠実だが、一つ大きな違いがある。若かったはずの主要キャラクターが、みんないい年なのだ。
原作のディッキーはまだ20代半ばで、イタリアで放蕩の限りを尽くした後はアメリカに戻って家業を継ぐはずだった。主人公のトムも同じ世代で、だから99年の映画でトムを演じたデイモンは当時29歳だった。
しかし今回は、ディッキー役のフリンは41歳で、トム役のスコットが47歳。どちらも分別のありそうな風情なので、若気の至りの放蕩息子とその友人には見えない。
99 年版にあったものがない
親の財産で食っていけると信じるディッキーに、将来の不安はない。一方のトムには未来がない。トムが以前にどんな夢を抱いていたにせよ(ドラマではトムの過去は一切明かされない)、その夢はとっくに破れていて、今はただサバイバルだけが目標だ。
99年の映画『リプリー』は、原作に潜んでいた同性愛的な要素を浮かび上がらせた。デイモン演じるトムはディッキーに恋していたが、拒絶され、彼を殴り殺してしまう。
しかし今回のトム・リプリーは違う。スコット演じるトムは、ただ自分が生き延びるのに邪魔だから、という理由でディッキーを殺す(なお原作が出た当時はまだ同性愛がタブー視されていたから、原作者のハイスミスはトムに「好きなのは男か、女か。自分では決められないから、どちらも諦めようと思う」と言わせている)。
実を言えば、トムは物質的な富にも興味がない。彼はただ、救い難い欠乏感から解放され、お金の心配なしに生きていきたいだけだ。
スティーブン・ザイリアンが脚本と監督を手がけたネットフリックス版のトムは、もはや夢追い人ではない。生きるために、ひたすらもがいている男だ。それなりに裕福な人間でさえ、一握りの超富裕層に比べたら見劣りする自分の財産を恥じ、不安になってしまう。そんな今の時代にふさわしい人物像に見える。
トムは裕福なディッキー(フリン)とその恋人マージ(ファニング)に接近する NETFLIX全編をモノクロで撮るという選択の結果、この物語に秘められた官能性や南国イタリアの明るさが失われてしまったのも残念だ。
99年の映画『リプリー』は、デイモンをはじめとする俳優陣の魅力もあって、実に官能的だった。例えばイタリアのジャズクラブで、ステージに上がったディッキーにトムが加わる場面。たちまち2人の愛が燃え上がり、トムの表情には新しい自分を発見した恍惚感のようなものさえ浮かんでいた。
だが、今回の作品にはそれがない。ディッキーはサックスを吹くが、本気ではない。画家を自称しているが、絵は下手だ。ディッキーの恋人マージも似たようなもので、作家や写真家を目指しているらしいが、作中では才能の片鱗も示されない。
詐欺師がセレブの時代
主人公のトムも、天才詐欺師には見えない。彼の小切手詐欺の手口は、よく見れば誰でもすぐに気付きそうなものだ。人を殺しても捕まらないが、それは被害者が誰にも同情されない人間だったからにすぎない。この作品でまともな手腕を発揮しているのは、逃げるトムを追いつめるイタリアの刑事(マウリツィオ・ロンバルディ)だけだ。
そもそもアメリカ人の想像力において、詐欺師という存在は独特の地位を占めてきた。アメリカンドリームの底にある「その気になれば人は何にでもなれる」という信念を病的なまでに拡張したのが詐欺師であり、読者や観客はその巧みな詐術に感心する一方、「いや、自分はそう簡単にだまされるほどばかではない」と信じて生きていく。
しかし今回のトムには、私たちを感心させるほど巧みな詐術はない。計算ずくで巧妙に見えても、彼のやることはどこか衝動的で乱暴すぎる。同じネットフリックス配信の詐欺師もの(実話ドラマ『令嬢アンナの真実』やドキュメンタリーの『FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー』など)に挟まれていなかったら、誰にも気付いてもらえなかっただろう。
かつての詐欺師は孤独な一匹狼で、ひたすら正体を隠し通すのが常だった。しかし今のアメリカでは稀代の詐欺師は超セレブであり、世の中の腐り切ったシステムを徹底的に利用して金持ちになるスキル故にあがめられている。ネットフリックス版『リプリー』は、そんな時代の申し子かもしれない。
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