「浪花のモーツァルト」として親しまれた作曲家のキダ・タローさんが亡くなりました。
キダさんといえば、誰もが歌える、数々のCMソングなどを手掛けたことで知られています。
キダさんとゆかりのある関西の人たちから、別れを惜しむ声が聞かれました。
■タレントとしても活躍した多彩な才能
【キダ・タローさん(当時80歳)2010年】「浪花のモーツァルト、キダ・タローでございます、へい」
作曲家のキダ・タローさんが14日、亡くなりました。93歳でした。
1930年に宝塚市で生まれたキダさん。高校生のときに兄弟の影響で音楽に目覚め、19歳で作曲を始めました。
手がけたのは自称・5000曲!関西テレビの番組もお世話になりました。
2018年9月、87歳の時、関西テレビの番組に出演した際には、ピアノの生演奏を披露していました。
去年亡くなった、坂田利夫さんのあの曲については…【キダさん】「心に染みる曲やねんなあ」。
キダさんは愛妻家としても知られていました。妻・美千代さんは番組で…
【木田美千代さん】「曲ができたら、最初に聞かせてくれる。タローさんの一番のファンで、一番曲を愛してるのは私」
タレントとしても活躍したキダ・タローさんは、ニュースで選挙取材にも出向いていました。
【キダ・タローさん(当時49歳)1980年】「ここの事務所に、私とそっくりな人が、いてはるらしいんです。みなさんいかがでしょうか、似てます?こんなんに…」
【そっくりさん】「私もいつも言われて、えらい迷惑してる」
【キダ・タローさん】「わしかて迷惑してる」
■円広志さんがコメント「ありがとうございました、お疲れさまでした」
同じ事務所に所属し、親交が深かった歌手の円広志さんに話を聞きました。
(Q.キダさんはどういう存在?)
【円広志さん】「それはもう僕なんかは、高校生の時からキダ先生の番組で、あったんです、そういうアマチュアの音楽をやる。僕そこへ出演させていただいてたんで、雲の上の人だったし」
芸能界の先輩としても、音楽家としても偉大な存在だったと話します。
【円広志さん】「先生のような1日に何十曲も書いたというね、到底追いつけないというかね、何年か前に『先生、僕なんか一行書くのに、何日もかかるんですけど』言うたら、『わしもやで、才能は全部枯れてしまってるよ』みたいなこと言うて、『えーそれでも書けるんですか』言うたら、『そら君、適当でええねん』言うてね。ほんとね、達観してるというかね」
(Q.いまキダ先生に伝えたいことは?)
【円広志さん】「お葬式の時も、いろいろ何を言うんかとか考えたんですけど、やっぱり、ありがとうございました、とお疲れさまでした、という言葉」
■街の人が口ずさむフレーズ 「かに道楽」「有馬温泉・兵衛向陽閣」「オリバーソース」
タレントとして、作曲家として、長年にわたり関西の人々に親しまれたキダさん。
街で聞いてみると、たくさんのおなじみのフレーズが…、
【街の人】「『オーマイカラーアサヒペン♪』『オリバーソース♪』『日本海み・そ♪』完璧やろ?関東やよそにはありませんよ。関西特有の…『有馬兵衛の向陽閣へ♪』って、誰でも歌えますやん。関西人はね」
【街の人】「アホの坂田って、『アホ、アホ、アホの坂田♪』あれもなんや思って。一緒の小学校やったんです。もちろん全然年代違いますよ」
【街の人】「やっぱりすごく身近に感じてて、一時よく出てられた時は、すごくよくテレビで拝見してたので、寂しい気はしますね」
【街の人】「『とーれとれピーチピチかに料理♪』よう行くからな、かに道楽。キダさんみたいに曲とか残してはったら、ずっと永久に残るからいいと思うよ。僕らにはできん」
誰もが口ずさむことができる、数多くのCMソングも手掛けてきたキダさん。
(Q.曲は早めにできるタイプ?)
【キダ・タローさん(当時80歳)2010年】「締め切りがあったら、その間はずっとお酒を飲んで、締め切りの前の日にギリギリになって、『えらいこっちゃ』と思ってやるんです」
すっかりおなじみの「とーれとれピーチピチかに料理~♪」この曲もキダさんの作品です。
かに道楽は、「キダ先生のご訃報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。歌ができてからは、家族の団らんに『かに道楽』が入るようになり、2世代、3世代受け継がれて、親しんでもらえるようになりました。長年共に歩んでまいりましたことに、心より感謝申し上げます」とコメントしています。
また、長年にわたって親しまれてきたCMも…。
有馬温泉の老舗旅館「兵衛向陽閣」では、旅館の歴史を展示するギャラリーがあり、キダさんのCMも流しています。
(Q.CMはいつから?)
【有馬温泉・兵衛向陽閣 風早和喜社長】「1962年に制作されたと聞いています。60年以上前ですね」
(Q.お亡くなりになったと聞いて)
【有馬温泉・兵衛向陽閣 風早和喜社長】「びっくりしました。お年はお年だけど、お元気やと伺っていましたので」
旅館ではキダさんの講演会なども行ったことがあり、母親が女将だった頃から交流してきたといいます。
5年前にはCMソングのリメイクもしたそうで、これが当時の写真。
【有馬温泉・兵衛向陽閣 風早和喜社長】「CMソングがもともとは3番まであったんですね、『有馬兵衛の向陽閣へ』のとこしか、誰も知らないので、リメイクということで」
(Q.どんな方でしたか?)
【有馬温泉・兵衛向陽閣 風早和喜社長】「本当に気さくな方で、浪花の大阪のおじさんという気さくな方。本当に残念なことで、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」
神戸市に本社を置く「オリバーソース」のCMは、お好み焼きを焼いた後の”短いフレーズ”が心に残ります。
キダさんが作曲したCMソングの誕生秘話を教えてくれました。
【オリバーソース 道満雅彦代表取締役社長】「普通のCMは15秒あるが、枠は10秒しかなかった。決めでバンといえる言葉が必要だったので、短く。お好み焼きがジュウという音の後に『オリバーソース』というだけのCM」
(Q.フレーズで売り上げが増えるなど影響は?)
【オリバーソース 道満雅彦代表取締役社長】「ありますね。今でも、うちの社名しゃべる時に、関西の人は『オリバーソース♪』って言っちゃう。インパクトある旋律を作っていただいて感謝しかないです」
■「永遠に歌い継がれることを心から希望」校歌の作曲も
キダ・タローさんの才能はこんなところにも…
大阪市の昇陽中学校・高等学校はもともと女子校でしたが、2010年に共学となり、学校名も変わったことから新たな校歌をつくりました。その校歌をキダ・タローさんが作曲しました。
校庭の桜の花陰で
交わした友情を決して捨てないさ
Dream For Ever
Dream For Ever
Dream For Ever我らの昇陽
CDの歌詞カードには、「この詩の熱いメッセージに啓発されて、自然にメロディが浮かびました。明日に夢を託して永遠に歌い継がれることを心から希望しています」と、キダ・タローさんの当時の思いがつづられています。
【生徒】「歌詞の中に英語があったり、少し変わっているところが好きです」
【生徒】「卒業式とかでも歌うので、気持ち込めて歌えたらいいなと思います」
【昇陽中学校・高校音楽教諭 衞藤智彦さん】「いつまでも青春・夢を追いかけていける、人間になってほしいという意味で作曲されたと聞いているので、そういう気持ちを生徒に分かってほしい」
【キダ・タローさん(当時80歳)】「実はこのような美しいメロディーを、作りたい作りたいと思って、80歳まで来ましたけど、いまだにできてないという表現です」
記憶に残る数え切れない楽曲を生み出した「浪花のモーツァルト」。
キダ・タローさんのメロディは、これからも多くの人の心の中で流れ続けます。
■カンテレの番組にもたくさんの曲を提供
最近までテレビで活躍されていたので、突然の訃報には驚きました。キダさんの関西での影響力の大きさを改めて感じました。
本当に数多くの名曲を残されました。
こちらにキダさんが手掛けられた主な作品をまとめましたが、関西にお住まいの方なら、いずれも口ずさめるものばかりです。
カンテレの番組にもたくさんの曲を提供いただきました。
【関西テレビ 神崎博報道デスク】「キダ先生は作曲家でもあり、かつタレント性もすごく高くて、トークも面白くて、30年ぐらい前に土曜のお昼になったら『ノックは無用!』という番組があって、その番組のゲストとしてよく来られていて、私は当時カメラマンでキダ先生と一緒の番組をさせてもらえたという思い出もあります」
企業のブランド価値を高めるような曲をたくさん作ってくださって、皆さんも口ずさめる、そして生活の中に溶け込むような曲を残してくださいました。これからもキダさんの曲はたくさんの方々に愛されていくと思います。心からお悔やみ申し上げます。
(関西テレビ「newsランナー」2024年5月16日放送)
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