水俣病被害者の救済のための「政治解決」に尽力し、分断された地域の絆を取り戻す「もやい直し」に取り組んだ、元熊本県水俣市長の吉井正澄(よしい・まさずみ)さんが5月31日、死去した。92歳だった。通夜は6月1日、葬儀は同2日に市内で営まれた。

 自民党の政治家として市議長などを歴任した後、1994年の市長選で初当選すると、党派を超えて水俣病の解決に奔走した。

 その年の水俣病犠牲者慰霊式に出席すると、「いわれなき中傷、偏見、差別を受けた犠牲者に対し、十分な対策を取りえなかったことを申し訳なく思う」と初めて謝罪して、患者側に寄り添った。

 一方で、当時の自社さ政権のもとで「政治解決」の機運が高まると、村山富市首相や大島理森環境庁長官と直談判して、政権に決断を迫った。

 差別や偏見で地域を覆った分断に対し、船と船をつなぎあわせる「もやう」という言葉にちなんだ「もやい直し」を提唱し、絆を取り戻す活動にも取り組んだ。

 2期で市長を退いた後も、2009年の「第2の政治解決」の際には、国などに損害賠償を求めた訴訟の原告が、救済対象かどうかを判定する第三者委員会の座長を務めた。(今村建二)

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