2003年から07年まで大阪市長を務め、職員厚遇問題などを受けて改革に取り組んだ関淳一(せき・じゅんいち)さんが9日、死去した。88歳。
医師から行政職に転じ、助役を経て市長に就任した。大阪市長選は、助役出身者を職員組合が支えて当選に導く選挙戦が長年続いており、同様の構図で初当選した。
しかし、在任中にヤミ年金・退職金など職員に対する不透明な厚遇問題が発覚。自身が起用した弁護士出身の大平光代助役や外部の有識者とともに、改革に取り組んだ。
さらに第三セクターの破綻や行政が関与した同和問題の不祥事が表面化すると、助役時代の責任を問う声が強まったため、任期途中の05年に「過去との決別」を掲げて辞職。組合との関係を絶って出直し選に勝利した。
07年には改革の継続を訴え3選を目指したが、「市政のプロが大阪市をだめにした」と批判を浴び、元アナウンサーの平松邦夫さんに敗れて引退した。以降、市幹部職員出身の市長は誕生していない。
大阪の大動脈「御堂筋」を整備し、名市長とうたわれた関一さん(1873~1935年)の孫にあたる。
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