韓国議会の総選挙(定数300)で、尹錫悦大統領を支える与党「国民の力」(以下、国民)は、左派系の最大野党「共に民主党」(以下、民主)に惨敗を喫した。総選挙はそもそも現職大統領への「中間評価」だが、選挙戦はそのレベルを超えていた。野党側は、尹大統領の残り任期について「あと3年は長すぎる」と大統領弾劾訴追や憲法改正による任期短縮までも争点化するキャンペーンを張り、尹大統領に対する「政権審判の選挙」と位置づけた。惨敗でこうむったダメージは、与党よりも大統領の側が大きい。

「今回の総選挙結果は、弾劾に近い与党の惨敗だった。残りの任期3年余を大統領がちゃんと運営できるのか、不安に思う国民は多い」。こう評したのは、保守系の大手紙「朝鮮日報」の社説(4月13日)だ。尹大統領の妻・金建希(キム・ゴンヒ)氏の株価操作関与疑惑を巡り、野党が検察から独立した「特別検察官」に捜査させる法案可決を目指していることに触れ、「特別検察の議論が本格化する前に、大統領が事件について率直な立場を明らかにし、謝るべきことは謝るよう願う」と促した。

朝鮮日報は大統領府や首相官邸の報道官を輩出し、野党を批判する報道が目立っていた。それが一転して、野党に歩み寄るよう、大統領に注文を突きつけた。報道機関をウオッチする「メディアオヌル」が、「朝鮮日報が弾劾に言及した」との記事を配信するなど、韓国社会では驚きをもって受け止められている。

保守系の与党国民は、系列の比例政党を含めて108議席にとどまり、「ねじれ」の解消どころか改選前(114)より減らした。対する野党側は、民主が175議席(改選前156)を獲得し、単独過半数を維持。民主系列とは別の左派系比例政党「祖国(チョ・グク)革新党」(以下、祖国)の12議席を合わせると187議席になる。

180議席以上あれば、特定の法案を迅速処理でき、議会の野党主導がより強まる。ちなみに、野党が200議席確保したら、可決した法案について大統領の拒否権を覆せる。大統領の弾劾訴追や憲法改正も可能になる。

注目される非尹氏系・与党議員の動向

ただし、与党側にとって「大統領拒否権は守られた」と安心はできない。大統領がこれまでに拒否権を発動した9法案のうち、いくつかの法案について「再審議されたら法案に賛成する」と公言する非尹系幹部もいるからだ。尹大統領は今年1月、国会が可決した金建希氏疑惑への特別検査官法案を拒否したが、今後は与党の造反で200議員以上が賛成して覆される可能性があるという見方も出ている。

与党が分裂したら、政権が崩れるのは速い。金泳三(キム・ヨンサム)政権から文在寅(ムン・ジェイン)政権までの大統領6人のうち、2人が弾劾訴追案を可決され、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏の弾劾は憲法裁判所で棄却、朴槿恵(パク・クネ)氏は認められた。弾劾は内政の混乱を伴うため野党にとって最後の切り札だが、前例があるだけに、保守陣営は警戒している。

今回の総選挙が政策論争以上に「政権審判」色が強まったのは、事実上の与党トップ、韓東勲(ハン・ドンフン)非常対策委員長が尹大統領の側近だったからでもある。韓氏は尹大統領と同じ検察官出身で、娘の米名門大入学を巡る経歴詐称疑惑を抱えている。疑惑を捜査した検察は、家宅捜査をせず「嫌疑なし」と結論づけたが、総選挙ではこれが野党の攻撃材料になった。

前の文在寅政権で検事総長を務めていた尹大統領は、歴代大統領の汚職だけでなく、「生きている権力も捜査する」として文氏側近の曺国(チョ・グク)法相を娘の不正入学関与などで立件し、辞任に追い込んだ。これが脚光を浴び、大統領候補に擁立された経緯がある。「尹政権物語」は公正さなくしては成立しない。

一方、野党側が「政権審判」を打ち出したのは、野党2党の代表が検察の標的にされ、実刑判決を受けるリスクを抱えていた事情がある。

民主の李在明(イ・ジェミョン)代表は、都市開発事業に関する背任事件などを巡り公判中で、有罪判決を受ければ任期途中で議員資格を剝奪される。祖国の曺氏は、娘の大学院不正入学への関与を巡り2審で懲役2年の実刑判決を受けており、年内予定の最高裁で判決が確定すれば収監される身だ。

曺氏は3月、自分の名前と同じ発音である「祖国」を党名に入れた祖国革新党を結成し、韓氏を捜査する特別検察官法制定を公約の筆頭に掲げた。自身は刑に服す準備を整えたとしたうえで、「自分の家族は家宅捜索を何度も受けた。韓氏の家族も同じ捜査を受けなければ不公正だ」との論理で復讐発言を繰り返した。


ネギを片手に、高騰するネギの値段を知らないと尹大統領を批判する曺国・祖国革新党代表=2024年4月6日、韓国北東部の江陵市で、同党提供

2割の無党派中道層がカギ握る

こうした与野党の「刺し合い」合戦の中で、支持政党のない無党派層や中道層は、尹政権への不満の受け皿となる左派系野党に流れたとみられる。世論調査機関「韓国ギャラップ」の世論分析担当者は言う。「金泳三政権が誕生した1992年の大統領選以降、保革の支持層がそれぞれ4割前後、残る2割が無党派・中道層という分布は30年以上変わらない。2割をどちらが獲得できるかの争いだ。今回、左派系が民主と祖国という支持層が微妙に異なる政権批判の受け皿をつくり、物価高や暮らしに不満を持つ2割をより多く吸収した」

今年1月の政党支持率は国民(40%)が民主(33%)を上回っていたが、祖国発足後の3月末には国民29%▽民主37%▽祖国12%と左派支持が底上げされた。この時、自身を中道と自認する有権者の7割弱が尹政権に否定的な評価をしていた。

開票直後に発表された公営放送KBSの出口調査分析によると、選挙区の投票先は40、50代が民主、60代以上は国民がそれぞれ優勢だった。20、30代女性の投票先は民主に偏る一方、同じ世代の男性は国民と民主とも4割台後半で差がなかった。比例の投票先は、祖国が40、50代の40%以上の支持を集め、民主を上回っていた。

日韓改善の意思は明確だが

日本側には、大統領の政権基盤が弱体化したことで日韓関係の揺り戻しが生じるのではないかとの懸念がある。しかし、外交は大統領の専権事項であり、尹大統領は日韓関係の改善を自身の成果としてたびたび言及しているため、内政を理由に変更するとは考えにくい。しかも、与党惨敗を受けて首相や大統領府高官が一斉に辞表を提出する中、外交・安全保障分野の秘書官は例外扱いになった。そこに外交の一貫性を保とうとする尹氏の意思がうかがえる。

同じく尹政権が進めてきた日米韓3カ国の連携強化でも大きな変化はなさそうだ。バイデン米政権は中国や北朝鮮の軍事動向をにらみながら、日米、米韓の両同盟を活用した「統合抑止」を重視している。対韓敵視政策に大きくかじを切った北朝鮮の出方によっては、北東アジアの緊張が強まることも予想される。

ただし、日韓の最大の懸案である徴用工問題については楽観できない。訴訟で敗訴した日本企業の賠償金支払いを、政府系財団に肩代わりさせるという尹政権の解決策は、国会の援護射撃を受けられず、行き詰まる可能性がある。財団は日韓の企業から期待した寄付が得られずに資金不足に陥っている。韓国政府の直接出資が法的に難しければ、残る道は議員立法による支援策に限られるのに、現状では超党派の法案を提出できるような政治環境にはない。

超党派で作る韓日議員連盟の関係者は「徴用工問題解決の議員立法はこれまでも議連メンバーで推進した経緯があり、次期国会でも検討課題だ。ただ、とりまとめ役はこれからみつける必要がある」と明かした。

文政権時代に廃案にはなったものの、超党派での法案提出に尽力した金振杓(キム・ジンピョ)議連会長は任期が終わる5月末で引退する。現会長の鄭鎮碩(チョン・ジンソク)氏や朴振(パク・チン)前外相、李洛淵(イ・ナギョン)元首相ら日韓関係改善のために奔走した重鎮は今回の選挙で相次いで落選した。これは「親日」のレッテルを張られたことが原因ではない。各党が無党派・中道層を獲得しようと候補の差し替えや世代交代を進めた結果だ。日韓政府間で解決が難しい課題を水面下で調整できる政治家は、今後なかなか生まれにくいだろう。

2025年は国交を正常化した日韓条約の締結から60年の節目を迎える。このため、韓国政府内では1998年の日韓共同宣言をアップデートしようという議論が出ている。一方、岸田文雄首相は2023年5月の日韓首脳会談後の記者会見で徴用工問題について「心が痛む」と発言しただけで、それ以上は踏み込んでいない。

慰安婦問題解決のための日韓合意(2015年)が韓国側の反発を受け、文政権で凍結されたトラウマから、日本政府は韓国内政が安定するのを待っているのだろうか。しかし、今回の総選挙でさらに深まった左右対立の構図が、今後数年で変わることはない。日本側が静観したままで、韓国の無党派層や中道層から「日本は韓国を軽視している」という不信を招く方が、日韓関係にとって長期的な悪影響が大きい。時間は味方しない。

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