299人が犠牲になった長崎大水害から23日で42年です。
1つの地区としては犠牲者が最も多かった長崎市の川平町では慰霊祭が執り行われました。
災害の教訓を次の世代にどう伝えるか、伝承の課題があります。
長崎市川平町で営まれた慰霊祭には遺族や市の職員などが訪れました。
慰霊碑には自治会で犠牲になった人の名前が刻まれています。
1982年7月23日。
長崎市は3時間で300ミリを超える大雨が降り、土砂災害が相次いで発生。
死者や行方不明者は299人にのぼりました。
川平町では夜の土砂崩れで34人が犠牲になりました。
現場近くに住んでいた自治会長の松本さんは翌日、被害を目の当たりにしました。
松本幸一 自治会長
「対面、反対側。災害が起きた場所を見渡せる場所に住んでいた」「夜が明けてからです。嘘だろうと。並んでいた家が全くなかった」
慰霊祭は水害の2年後から毎年行われています。
一方で町内に住む人の高齢化は進んでいて、自治会に所属にしない世帯も増えています。
災害の教訓を次の世代にどうつなぐか、伝承が課題になっています
川平町自治会 尾崎恒夫さん(84)(「崎」は「たつさき」)
「(川平町に)残っている周辺の人たちも高齢になって亡くなったり、高齢で(慰霊祭に)参加できないこともある「(それでも)我々がこのような慰霊祭をして伝達をしなければいけない」
参列者は犠牲者の鎮魂を祈りながら、伝承への思いを新たにしていました。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。