G7広島サミットを終えて議長として記者会見する岸田首相(23年5月、広島市の平和記念公園)

ものごとには潮時というものがある。岸田文雄首相(自民党総裁)の総裁選出馬断念は自らにとっても、党にとっても、ちょうど良いタイミングだ。

各種の世論調査では7割から8割の人が総裁続投を望まないという有権者の「岸田離れ」がとまらない。それなのに無理をして再選を実現したとしても、衆院選や参院選で敗北し退陣をよぎなくされるのがオチだ。総裁選という節目にスパッと身を引く決断をしたことは、潔い出処進退といえる。

1982年の秋を思い出した。宏池会(岸田派)の先輩である鈴木善幸首相(当時)は総裁選の告示の直前、再選が確実視されるなか、総裁選不出馬を表明した。「和の政治」をかかげた鈴木らしい引き際だった。もし宏池会が政治権力よりも政治の最適解を求める集団だとすれば、岸田首相がその伝統を守ったというのはやや持ち上げすぎだろうか。

自民党政権という射程で2021年からの岸田政権をみたとき、12年からの第2次安倍晋三政権を20年に菅義偉政権が引き継ぎ、それを修正しながら発展させて「安倍の時代」を終わらせたという位置づけができるだろう。

修正しながら発展させたものの第1は防衛力の増強である。反撃能力の保有の容認、防衛費の国内総生産(GDP)比2%以上への増額、防衛3文書の改定と安全保障政策をギアチェンジした。

第2は原子力発電所に関する政策だ。11年の東日本大震災以来の方針を転換し、原発の建て替え・新増設の検討、運転期間の延長などを決めた。原発・エネルギー政策のギアチェンジである。

リアリストで安倍・菅両首相のような強いリーダーの印象を与えない岸田首相だから実現できた。政治的なレガシー(遺産)となった。政治のパラドックスがここにある。

終わらせたものは経済政策だ。金融緩和は日銀総裁の交代を機に路線転換に持ち込んだ。ただ新しい資本主義は道半ばのままだ。

岸田政権を終わらせる引き金ともなったものが安倍派をはじめとする派閥の政治資金パーティーだったのはいうまでもない。政治とカネの問題への党の対応のまずさも自民党離れに拍車をかけた。ゴタゴタがつづいた岸田自民党に有権者が背を向けた。

それにしても政治は因果なものである。21年8月、総裁選を前に最初に出馬表明したのが岸田氏で、菅首相の続投断念のきっかけをつくった。そしてこんどは自らが逆に菅氏の役回りを演じることになった。

政権運営の失敗の原因を振りかえると1年前にある。内閣・党ともまだ支持率が高かった5月の主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)のあとの通常国会の会期末か、10月召集の臨時国会で衆院解散に踏み切り、衆院選を視界の外に押しやっておけば、こんな展開にはならなかったはずだ。

内閣改造・自民党役員人事でも「次」への意欲を隠そうとしない茂木敏充幹事長を続投させたことも失敗だった。総裁―幹事長の呼吸があっていなければ政治はうまく回らない。

政策面でも定額減税を打ち出した結果、人気取りと受けとめられ、不評だった。防衛力増強や少子化対策で将来の負担は避けられないと有権者の誰もが覚悟しているなかで、政権としてこの国の先々に真っ正面から向き合っていこうとしているのかという疑問を生じさせた。

解散・人事・政策と読み違えの三重奏になってしまった。

では「ポスト岸田」の総裁選をつうじて自民党のムードを一新、有権者の支持を引きもどせるかとなると、まだそれはとても見通せない。

英国、米国につづいて日本でもリーダー交代とは、やはり政治は因果なものである。

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