長崎の「被爆体験者」たちが、2024年8月9日の長崎原爆の日、岸田首相と初めて面会し、直接思いを訴えた。しかし、その希望の光は、予期せぬ政治の荒波にさらされている。被爆体験者たちの切実な訴えと、揺れ動く政治の狭間で、被爆体験者たちの未来はどこへ向かうのか。

「被爆体験者」とは

「被爆体験者」とは、長崎に原爆が投下された際、国が定めた「被爆地域」の外にいたために被爆者と認められていない人々のことである。この「被爆地域」の線引きは、放射性物質の降下範囲などの科学的調査に基づくものではなく、当時の行政区域を中心に決められたものだ。そのため、「不条理ではないか」との声が上がっている。

被爆体験者 岩永千代子さん
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彼らが求めているのは、広島の「黒い雨」被爆者と同様の対応だ。

広島では2022年度から原爆投下後に放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた人々が「原爆の放射線による健康被害を受けた可能性が否定できない」として被爆者と認められるようになった。

一方、長崎の「被爆体験者」たちは、原爆投下後に放射性物質を含む「灰」が浮いた水を飲んだり、大気中の放射性降下物を吸い込んだりしたとしているが、救済の「対象外」とされている。

岩永千代子さんの訴えと岸田首相との面会

88歳の岩永千代子さんは、約20年にわたり「被爆者と認めてほしい」と訴え続けてきた「被爆体験者」の一人だ。

被爆体験者に独自で聞き取り調査などを行う岩永さん

自身も甲状腺異常など様々な病に苦しみながら、他の「体験者」たちの健康状態を独自に調査してきた。

2024年8月9日 岸田首相に絵を見せながら訴える岩永さん

2024年8月9日、岩永さんは岸田首相と初めて面会し、直接思いを訴えた。

「体験者」に呼びかけて描いてもらった3枚の絵を見せながら、岸田首相に救済を求めた。

「甲状腺ガンや白血病などが現れるようになったなどの多数の証言があります。これが現実です。内部被ばくの実態そのものです。総理に申し上げます。私たちは被爆者ではないのでしょうか」と岩永さんは訴えた。

岸田首相は、その場で武見厚生労働大臣に「具体的な対応策の調整」を指示し、問題解決に前向きな姿勢を示した。しかし、岩永さんが求めていた「被爆者と認める」という言葉はなかった。

被爆二世・平野伸人さん(77):被爆体験者は被爆者じゃないんですか。岩永さんの声が聞こえないんですか

被爆体験者を支援する平野伸人さん

声をあげたのは被爆二世の平野伸人さんだった。平野さんは約18年にわたり岩永さんたちの裁判や申し入れに常に付き添い、訴えが届くようサポートしてきた。

被爆体験者を支援する 平野伸人さん:私は(首相が)ゼロ回答だったら黙っておかないと思っていた。ほぼゼロ回答に近かった。被爆体験者の立場に立たなければ、いつまでも同じことが繰り返される

被爆体験者 嶋田サチ子さん

絵を描いた「体験者」の1人、嶋田サチ子さん84歳。原爆が投下されたときは爆心地から10.5キロの西彼杵時津町子々川郷にあった自宅の近くの畑にいた。「(祖父が)この灰が肥料にならんやろかと。家族みんなでふるいにかけた。ふるいにかけるために網をつって、家族みんなで真っ白になりながら頭からふるいにかけていた」と嶋田さんは当時を振り返る。

嶋田さんは、この灰が放射性物質を含んだ「死の灰」だったと確信している。灰を集めた祖父は数年後、原因不明の症状で死亡。一緒に灰の処理をした叔母は肝臓がんに、二人の姉もがんを患った。嶋田さん自身も40代で脳出血で倒れ、半身不随になり、腎臓病も患った。

「私は絶対放射能でこうなった。おじいちゃんもおなかが膨れたのもそれだと私は思っているから。私は広島と同じような対応にしてほしいというのが願い」と嶋田さんは語る。

揺れ動く希望と不安

岩永さんは、嶋田さんや他の「体験者」たちの思いを胸に首相に訴えかけた。

岩永千代子さん:内部被ばくによって健康被害を受けた可能性が否定できない被爆者でしょ。総理は広島の方々と同様に被爆者と認めてくださると信じます

岸田首相:岩永会長から直接聞かせてていただいた大変つらい経験についてお話しいただいたこと、心から感謝を申し上げます。広島との公平性について指摘があった。政府として早急に課題を合理的に解決できるよう、厚生労働大臣において長崎県、長崎市も含め具体的な対応策を調整するよう指示をいたします

岸田首相との面会後、岩永さんは「(岸田首相は)大臣に向かって指示をしましたね。私たちの目の前で指示をしたということはウソではない。明るい方向に進展するんじゃないかという明るい気持ちになった」と期待を寄せた。しかし、このわずか5日後、岸田首相は自民党の総裁選に出馬しないと表明した。

この予期せぬ展開に、岩永さんは驚きながらも冷静だ。「びっくりした。岸田首相が私たちに仰った対応を本当に心から引き継いでくださるかどうかが不安。厚労省の武見大臣に対して指示をされたというあの場面は決して覆されないだろう」と語る。

体験者を支援してきた平野伸人さんは「あの約束はどうなるのか?はしごを外された気持ち」と失望している。

こうした中、厚生労働省は「体験者」の救済をめぐる県と長崎市との三者協議を8月27日に開くよう調整を進めていることが分かっていて、協議の場では救済に向けての国の方針が示される見通しだ。その後、継続して協議を重ね対応を決めるとみられている。被爆体験者らはその協議を傍聴させてほしいと要望していて、長崎市は「国に伝える」としているが実現するかどうかは不透明だ。

岸田首相の自民党総裁の任期は9月まで。9月9日には「体験者」が被爆者認定を求めた裁判の判決も予定されている。岸田首相が約束した「合理的に解決」がいつ、どのような形で実現するのか。

「被爆体験者」たちは、希望と不安の中で、その時を待ち続けている。

(テレビ長崎)

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