自民党総裁選に自らも出馬した経験があり、何度も総裁選に深く関与してきた竹下登元首相はこう語っていた。

「一度として同じ色合い、同じ匂いのする総裁選はなかった」

確かに時代背景、候補者の顔ぶれなどさまざまな要因、要素が絡み合う中で次の日本のリーダーを決めてきたのが総裁選だ。その長きにわたる歴史をひもといても、今回ほど想定を超える総裁選はなかったように思える。

「令和断層」での地殻変動

しかも今回は、自民党だけでなく、野党第1党の立憲民主党の代表選が重なり合う「ダブル党首選」という点でも異例だ。さらに総裁選に名乗りを上げた小泉進次郎元環境相は、出馬会見で首相に就任した場合の早期解散の断行を明言した。ダブル党首選はそのまま衆院選挙に直結する「選挙の顔」を選ぶことにもなった。

自民党と長く連立政権のパートナーとして与党の一翼を担ってきた公明党の代表は、山口那津男氏から幹事長の石井啓一氏に代替わりする。2024年9月は「令和断層」と呼んでもいいほど政治に地殻変動が起きているのかもしれない。

その変動を象徴するのが9月12日に告示される自民党総裁選だ。自民党は結党時から「派閥連合体」の性格を帯びていた。それぞれの派閥が総裁候補を送り出し、政権を奪い合う仕組みで動いてきたからだ。その背景には自民党の候補者同士で当選を争う中選挙区制があった。このため派閥の数を超える候補が総裁選に出ることはあり得なかった。それが1994年に衆院の選挙制度が現行の小選挙区比例代表並立制への移行により総裁選のあり方も激変した。

中選挙区時代には衆院選を勝ち抜くための最大の拠り所は派閥だった。しかし、現行制度になってからは、派閥の支援以上に党の執行部が握る公認権が大きな影響力を持つことになった。このため派閥の領袖が総裁に立候補し、「右を向け」と言えば、全員が右を向くような派閥は消えていった。

例えば98年の橋本龍太郎首相の退陣に伴う総裁選には派閥会長の小渕恵三外相と同じ小渕派大幹部の梶山静六元幹事長が激突した。自民党が野党時代の2012年の総裁選では町村派から会長の町村信孝元官房長官と1次政権で挫折した安倍晋三氏がともに立候補したことがあった。この総裁選では派閥の会長で現職総裁だった谷垣禎一氏が出馬断念に追い込まれている。

最近は派閥の会長が総裁になるケースの方が少ない。意外な印象を与えるが、岸田文雄首相は最後の派閥領袖総裁だった。今回の総裁選候補でも派閥会長は茂木敏充氏のみ。その茂木派でも茂木氏の他に幹部の加藤勝信元官房長官が名乗りを上げた。茂木派の源流でもある旧田中派の「一致団結箱弁当」は“昔ばなし”になってしまった。

無派閥続出を導いた岸田発言

むしろ今回は無派閥議員の意欲表明が目立つ。石破茂元幹事長を筆頭に高市早苗経済安全保障相、斎藤健経済産業相、小泉進次郎元環境相の5氏を数える。過去に菅義偉前首相が自民党史上初めての無派閥総裁だった。ただし、この時は自民党の4派閥の支援を受けており事実上の派閥選挙が展開された。ここが今回の総裁選とは全く様相を異にする点だ。

この異例の事態の元をたどれば岸田首相の発言に行き着く。派閥の崩壊は言うまでもなく今年1月の自民党の派閥主催の資金集めパーティーをめぐる裏金問題で首相が突如として岸田派(宏池会)解散を宣言したことに始まった。これをきっかけに自民党に存在した6派閥のうち麻生太郎副総裁が率いる麻生派を除く5派閥が派閥としての機能を停止した。さらに首相は全閣僚に対して「気兼ねなく論戦してもらいたい」と述べて、閣僚の総裁選出馬を容認したことも、立候補へのハードルを一層低いものにした。

首相の退陣表明は8月14日。閣僚の出馬容認発言は翌日の15日だった。つまり首相は退陣表明に合わせて閣僚を含めた多数の候補者が名乗りを上げる総裁選を“演出”した可能性がある。首相の出馬断念は頼みとした麻生氏の協力を得られず、茂木氏を加えたいわゆる「三頭政治」が立ち行かなくなったことが決定打になった。外形上は追い詰められての退陣に見えるが首相自身はむしろ「負けて勝つ」(首相周辺)の心境にあったのかもしれない。気が付けば首相が最も政治的に優位な状況に立つことになっているからだ。

崩れゆく派閥の秩序

既に第1派閥の安倍派は液状化して見る影もない。麻生氏も首相の再選支持が残された唯一のカードと言えたが、タイミングを見誤り、首相の退陣によって「岸田カード」を失った。結果として麻生派内にも異論が残る同派所属の河野太郎デジタル担当相の出馬を容認しなければならない状況に追い込まれた。

茂木派に至っては加藤氏が出馬に踏み切ったことで、1月の小渕優子選対委員長らの派閥離脱に続く再分裂の危機に瀕している。 第5派閥の二階派は会長の二階俊博元幹事長の体調が優れず、二階氏自身が今季限りで政界引退を表明していることもあって派として一致する動きはない。かつて同派の事務総長を経験した平沢勝栄氏は「野放し状態」と語る。二階氏側近で派閥の会長代行だった林幹雄氏は総裁選についてこう語る。

「総裁選の第1回投票で決着がつかない場合、決選投票をどうするかは今後みんなで検討する」

これに対して“無傷”に近いのは、岸田派と森山裕総務会長の森山派の2派閥だけ。岸田派からは林芳正官房長官が名乗りを上げているが、岸田派全体が大きく揺らぐ状況にはない。つまり首相の退陣劇をきっかけに岸田派を除く派閥が存続の危機に直面する。退陣表明から約1週間後、首相はこんな感想を側近に漏らしている。

「シナリオ通りだな」

首相はトップリーダーの立場ではなくなったが、存在感を維持する長老のひとりとして残る。まだ67歳の岸田氏に関しては早くも「首相再登板」(岸田派幹部)の見方もくすぶる。ただ首相にとって計算外だったのは菅氏の動きではないか。菅氏は小泉氏の擁立に激しく動いていたからだ。

「派閥政治に反対してきた菅さんが最も派閥選挙をやっている」

総裁選出馬に意欲的だった陣営幹部の証言だ。もっとも今回の総裁候補の背後には、麻生派の河野氏だけでなくベテラン、実力者の顔がちらつく。小泉氏に対しては菅氏に加え、「清和会」の再興に燃える森喜朗元首相も精力的に推している。いち早く名乗りを上げた小林鷹之前経済安保相は甘利明元幹事長の影がつきまとう。その点では表の権力闘争とは別の政権をめぐる主導権争いが展開されている。

異例の森・森山会談

このため乱戦、混戦の総裁選のあとの「戦後処理」をどうするかの問題が残る。小泉発言によって総裁選直後の解散総選挙が既定路線になりつつあるが、自民党政権の継続が保証されているわけではない。

自民党のベテラン職員は1955年の自民党結党直後の「8個師団」と呼ばれた時代に戻る可能性を指摘する。総裁選の各候補に集まった推薦人を加えた20人規模の議員グループが次の自民党の基礎を築くという訳だ。ただし8個師団の軸となった8氏を並べると、目がくらみそうになる。岸信介、石橋湛山、池田勇人、佐藤栄作、河野一郎、三木武夫ら、今も顔と名前が一致する実力者ばかり。

8月21日夜、都内のホテルで森元首相と森山裕総務会長による異色の会談が行われた。この会談のテーマこそが総裁選後の混乱収拾にあった。ここで森氏は小泉政権を念頭にこんな要請をしている。「党運営で中心になる人間がいない。そこをしっかりやってもらいたい」

今の自民党で非主流派とされながら、岸田首相が最も頼りにした幹部は森山氏を置いて他に見当たらない。自民党総裁は即日本の首相だ。政治には、1日の停滞も許されない。ましてやこれだけの候補者がひしめいた総裁選後の党内平定は生易しいことではない。「宴の後」に食べ残しや食器が散乱している状況だけは避けなければならない。

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