海自艦艇、機雷除去のためペルシャ湾に出航

1991(平成3)年 湾岸戦争でイラクがクウェート沖のペルシャ湾に敷設した約1200個の機雷を除去するため、自衛隊のペルシャ湾掃海部隊が出航した。自衛隊にとって初の海外任務だった。輸入原油の7割を中東に依存する日本にとっては機雷の脅威は看過できない問題となっていた。

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その他の出来事

海自の前身組織が誕生

1952(昭和27)年 「海上保安庁法の一部を改正する法律」が公布され、同庁管下に海上警備隊が創設された。設置目的は、海上における人命・財産の保護、治安維持。54(昭和29)年自衛隊法の施行・防衛庁設置に伴い海上自衛隊となった。

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『七人の侍』封切り

1954(昭和29)年 黒澤明監督の映画『七人の侍』が公開。戦国時代、野武士の略奪で困窮した農民に雇われる形で集まった7人の侍の活躍を描いた。複数カメラで同時撮影するマルチカム方式を採用し、墨を混ぜた水を浴びせて撮った豪雨の決戦シーンなど、迫真力に満ちた活劇をつくった。ベネチア映画祭銀獅子賞、キネマ旬報ベスト・テン3位。観客動員数700万人と興行的にも成功した。米映画『荒野の七人』(1960年)が作られるなど、世界の映画界に影響を与えた。

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巨人の王選手がプロ入り11試合目で初本塁打

1959(昭和34)年 開幕以来26打席連続無安打の巨人・王貞治選手が、後楽園球場での対国鉄戦の第3打席、2ストライク1ボールからの4球目、内角低めのカーブをすくい上げ、ライトスタンド最前列に打ち込んだ。11試合目にしてプロ入り初安打・本塁打。

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