自民党・安倍派に所属していた宮澤博行 衆議院議員が4月23日、額賀福志郎 議長に辞職願を提出した。翌々日に発売される週刊誌に自らの女性問題が掲載される見通しとなり、前もって責任を取った形だが…。
座右の銘は母校の校訓「質実剛健」
「しゃべるな!しゃべるな!これですよ」
派閥の裏金事件をめぐり、このフレーズで一躍“時の人”となった元自民党で清和政策研究会(安倍派)に所属していた宮澤博行 衆議院議員。
生まれは現在の浜松市天竜区龍山町(旧磐田郡龍山村)で、磐田南高校を卒業すると東京大学法学部に進学した。
その後は塾講師や派遣社員などを経て、2003年に28歳の若さで磐田市議会議員に初当選した。
衆議院議員としてのキャリアの始まりは自民党が政権を奪還した2012年。
選挙戦の第一声で「この故郷から、この地元から私は政治を変えていきたい。日本を強く、故郷を豊かにする戦い。そして、何といっても日本再建。俺がやる!そういう気持ちで戦いに挑む」と声高らかに宣言すると、“自民党の風”にも乗って民主党(当時)の前職などを相手に小選挙区を制する。
そして、当選証書を受け取った宮澤議員は「『衆議院議員』という字を見た時に、改めてやらなくてはいけないという、鋭い、重い責任というものを感じるようになった。これからが仕事なので、故郷のために、日本のために頑張っていきたい」と抱負を述べていた。
当選後は防衛政策に関する学びを深め、これまでに防衛大臣政務官や防衛副大臣を歴任したほか、党内でも防衛部会長を務めた経験を持つ。
裏金事件に関わる“告発”で全国区に
そんな宮澤議員が全国から注目を浴びることになったのが冒頭の発言だ。
2023年12月13日。
派閥のパーティー券収入をめぐる政治資金収支報告書への不記載に関する問題で揺れていた安倍派の議員の多くが口をつぐむ中、宮澤議員は突如として自身もキックバックを受領していたことや報告書に記載していないことを明らかにした上で「派閥から『収支報告書に記載しなくてよい』という指示があった」と激白した。
さらに、「しゃべるな!しゃべるな!これですよ」と語気を強め、この問題に関して派閥内でかん口令が敷かれていたことを示唆。
宮澤議員は最後の最後まで、口止めが誰によるものだったのかは口を閉ざしたが、最大派閥の圧力にも屈しない“勇気ある告発者”と受け取る人も多かった。
「しゃべるな!しゃべるな!」は演出?
ただ、内情としては“選挙対策”であった可能性が高い。
実は宮澤議員は2021年の衆議院議員選挙で、4期目にして初めて小選挙区で敗れたことで比例復活に甘んじていて、現に周囲に対して「こうでもしなければ勝てないから…」と口にしていたというし、宮澤議員の関係者は、かん口令の話自体にも疑問を持っていて、「本当は口止めなどなかったのではないか?」とすら話していた。
また、後に収支報告書に不記載だった132万円のうち114万円は、派閥からの指示とは関係のない“中抜き”によるものであることが明らかになり、「慣習の中でやってしまった」と釈明している。
派閥に責任押し付ける姿勢に同僚は…
こうした中、年が明けても“絶口調”だった宮澤議員。
自民党が政治刷新本部を設置すると、今度は「同志や国民に迷惑をかけている以上、清和政策研究会は解散するべき。私は派閥に残り、派閥を介錯する。安倍派を介錯する」とぶち上げた。
しかし、良いか悪いかは別として宮澤議員が政務官になれたのも、副大臣になれたのも安倍派の後押しがあったからであることはまぎれもない事実であり、自身も裏金疑惑の当事者でありながら、すべてを派閥の責任とするかのような身勝手な姿勢は同僚議員の怒りや失笑を買い、県内選出の国会議員によれば、この頃から国会内で宮澤議員に話しかける議員はほとんどいなくなったそうだ。
辞職願は突然に…事前に誰も知らされず
それから3カ月が過ぎた4月23日午前。
宮澤議員は磐田市にある自身の事務所に立ち寄ると、秘書やスタッフを前に涙ながらに謝罪しながら辞職する考えを告げた。翌々日に発売予定の週刊誌に女性問題が掲載される見通しになったからだという。
そして、その足で東京へと向かい、衆議院の額賀福志郎 議長に辞職願を提出した。
関係者によれば、事前に相談を受けた秘書やスタッフ、さらには支援者はおらず、まさに寝耳に水だったそうだ。
衆議院といえば、常に解散の可能性をはらんでいることから“常在戦場”と称される。それだけに秘書やスタッフも突然に仕事を失うリスクがあることは重々承知しているはずだが、まさかそれが自分たちの仕える議員の不祥事によってやってくるとは夢にも思わなかっただろう。
もちろん、宮澤議員は秘書やスタッフの今後の処遇について何の手当もしていない。
振り返ってみると、前述の裏金事件に関わる“暴露”をした時も、宮澤議員は事前に秘書やスタッフに何も伝えておらず、事務所はわけもわからないまま問い合わせへの対応を余儀なくされるなど混乱を来した。
辞職願を提出した後の宮澤議員に話を聞くと、女性スキャンダルが辞職の要因であることは認めながらも詳細な説明は避け、「迷惑をかけた」「申し訳ない」と繰り返すばかり。
確かに、不祥事を起こしながらもその座にしがみつく国会議員が多い中、いち早く辞職という道を選んだこと自体は評価する人もいるだろう。
とはいえ、宮澤議員が23日夜以降、雲隠れ状態が続く中で、様々な問い合わせなどへの対応を余儀なくされている秘書やスタッフ、そして長きにわたって宮澤議員を支えながらもいまだ本人から何も説明してもらっていない支援者のことを思えば、あまりにも身勝手な身の引き方なのではないだろうか。
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