不評の構想、不安定化する政権
石破首相が自民党総裁選で掲げた「アジア版NATO」構想が不評である。日米やアジアの外交・安全保障専門家は押しなべて否定的で、インドのジャイシャンカル外相は10月1日、「我々はそのような戦略的な構造は考えていない」と言明した。
そもそも今回の総選挙で自民・公明は過半数を割り、11月上旬の特別国会で石破氏が首相に再選されるのかも確実ではない。このような中で「アジア版NATO」は一時のあだ花として消えていくのだろうか。
ここで11月5日に行われるアメリカ大統領選挙を視野に入れてみると、違った景色が見えてくる。大接戦の大統領選挙は、最終盤でハリス候補の失速も伝えられるが、どの調査もトランプ候補との開きは誤差の範囲ということだ。ハリス氏当選の場合はバイデン政権の政策が継続されることになろうが、トランプ氏の再登場となった場合はどうか。アメリカのNATO脱退すら口にしたトランプ氏である。
日米、日韓といった北東アジアの同盟関係も、場合によってはディールを重んじる「カネ次第」となりかねない。もし再選後のトランプ氏が日本や韓国に対する防衛義務を真摯(しんし)に履行する構えを見せない場合、日韓は核武装に走ると予想する英語有力誌もある。韓国では2016年頃まで核武装論議はタブー視されていたが、今では世論調査で6割以上が核保有に賛意を示すという。
トランプ氏は突飛な存在に見えるが、アメリカが軍事的な対外関与に消極的になる傾向はトランプ以前からのもので、今後その趨勢(すうせい)が逆転することは考えづらい。このため、アジアにおける安全保障面での多国間枠組みの議論があってもいいのではないか。筆者はそのような観点から石破首相の提起にも一定の意味を見出している。
石破氏の真意はどこに?
ただし、引っかかるのは、「アジア版NATO」の意図することが今一つ分からないことだ。今回、石破構想が波紋を広げたきっかけは、米ハドソン研究所への寄稿(9月24日掲載)だが、そこでは「今日のウクライナは明日のアジア」だとして、台湾有事を念頭に対中抑止の必要性を強調している。
一方で石破氏は、毎日新聞の倉重篤郎氏を聞き手とした近刊(『保守政治家』2024年8月刊行)での主張は異なる。「『今日のウクライナは明日の日本だ』とか、『台湾有事が急迫している』とかいう議論も目立つようになりました。しかしそうであればこそ、ロシアや中国との外交関係を絶やさない努力が、一方で重要だということを、強調すべきだと思います」と語り、「アジア版NATO」構想はほぼ見当たらない。
さらに「中国脅威論ばかりが日本国内で幅を利かせるようになると、(中国の)全体像をとらえたバランスのある議論ができなくなります」と、筆者からすればもっともな正論を述べた上で、「自民党でも錚々(そうそう)たる方々が(日中)両国間のパイプ役をつとめておられました。今は逆に、真面目に日中関係を前に進めようとする政治家を『媚中派』などレッテル貼りし、攻撃するような一部世論すら存在しています」と、世論の視野が狭くなることを憂えている。
対中抑止を前面に掲げた「アジア版NATO」と、いたずらに中国脅威論をあおるのをたしなめる言動と、どちらも石破氏の真意なのかもしれないが、並べてみるとまったく別人が話しているかのようである。
同時に気になるのは、過剰な対中対決姿勢をいさめる石破氏の言葉が、安倍晋三氏や岸田文雄氏らへの批判として語られていることである。自民党内での「党内野党」として国民的人気を保ち、それゆえに今回、自民党総裁から首相へという宿願を果たした石破氏だが、その場、その場で時々の首相=自民党総裁を諭すような「一言居士」のスタンスは、今後は取り得ない。これまで示してきた識見に現在の最高権力者としてどこまで責任を負うのかが問われる。
「樋口レポート」が引き起こした波紋
今回の「アジア版NATO」構想の不評ぶりを見て思い出されるのは、1994年に政府に提出された「樋口レポート」(「日本の安全保障と防衛力のあり方」)をめぐる騒動である。55年体制を終焉させた細川護熙政権下で、冷戦後の新たな国際環境への対応を企図して樋口廣太郎・元アサヒビール会長を座長とする有識者懇談会が発足し、この提言をまとめた。
波紋を呼んだのは、同提言が冷戦後の日本の安全保障政策の主柱として、(1)多国間安全保障(2)日米同盟の二つを挙げ、(1)(2)の順番で報告書に記載したことだった。これに対して日米の安全保障関係者の間で、日米同盟を2番目としたのは日米同盟を軽視し、アメリカ離れを意図している表れだと受け止める向きがあったのである。
同提言を執筆した渡邉昭夫氏(東京大名誉教授)は、(1)と(2)は相互補完的なものであり、順番で優劣をつけたわけではないと強調するが、日米同盟を先に記すよう求める内外からの圧力は予想以上だったと振り返る。それでも提言でこの順序を維持したのは、硬直化しがちな「ともかく日米同盟」の発想に刺激を与える意図があったからだという。
米ソ冷戦終結直後の当時は、アメリカがアジア太平洋での軍事的関与を削減するのではないかという見方が関係諸国にあり、アメリカはそれへの対応として「ナイ・レポート」を公表し、アジア太平洋における米軍「10万人体制」の維持を打ち出した。
もちろん、当時と今日で状況も異なれば、引き起こした波紋の意味も異なる。だが、樋口レポートと「アジア版NATO」には、アメリカの関与の相対的低下を多国間の枠組みで補おうという問題意識という点で通底するものがあるように見える。そして、そのような問題意識に対して、日米同盟を軽視、あるいは相対化するものだとして危惧し、警戒する反応が表れたという点でも一定の共通性がうかがえる(「アジア版NATO」については、アジア諸国に脅威認識など共通の基盤がないことが批判の力点だが)。
アジアにおける多国間枠組みという発想
自民党総裁から首相へということもあり、石破氏の持論はひときわ耳目を集めたが、今回の総選挙を前に公明党は、米欧諸国とロシアなどが参加するOSCE(全欧安全保障協力機構)のアジア版創設を提唱した。同機構は冷戦下の1975年にCSCE(全欧安全保障協力会議)として発足し、東西両陣営間の信頼醸成や軍縮などに取り組んできた。その「アジア版」は日中韓に北朝鮮、米露などにも参加を呼び掛け、事務局を日本においてアジア各国の対話の場にしたいという。
一方で共産党はASEAN(東南アジア諸国連合)に注目する。今年4月、各国の在京大使館関係者を前に講演した志位和夫議長は、かつて域内紛争が絶えなかった東南アジアで「対話の習慣」を重んじるASEANが地域秩序安定化の役割を果たしたことに着目し、対抗と分断が顕著な北東アジアにおいて、各国間の友好協力条約締結を提唱した。
北東アジアでは一時期、北朝鮮の核開発をめぐる6カ国協議が安全保障面での多国間枠組みとして発展することへの期待が語られた時期もあった。しかし、結局は機能不全から活動停止状態に陥り、北朝鮮による核開発が既成事実化する一方で、台湾有事が重大な懸案事項として浮上してきた。6カ国協議で中国はまとめ役を期待されたが、中国が当事者となる中台問題ではそのような調停役も不在である。
こうした状況で、もしアメリカの関与が不透明なものになったとしたら、地域秩序は一気に不安定化しかねない。その帰結が日韓の核武装といった一部のシナリオ通りにならないように、米国への引き留めという一本足打法だけではなく、発想の幅を広げておく必要がある。そのような議論の糸口の一つとして、「アジア版NATO」が提起していることには、相応の注意が払われてしかるべきだろう。
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