日露戦争の講和条約、「ポーツマス条約」の調印書の原本など、貴重な史料が宮崎県日南市で展示されています。

日南市飫肥出身の明治の外交官・小村寿太郎は、日露戦争後、アメリカのポーツマス市で講和条約を結ぶなどの功績を残しました。2025年、条約締結から120年を迎える事を記念して、日南市の小村寿太郎記念館では「小村寿太郎とポーツマス条約」展が開かれています。

会場には、外務省外交史料館所蔵の貴重な資料が展示されていて、このうち1905年に締結された「ポーツマス条約」の原本には、小村寿太郎やロシア側合わせて4人の署名が記されています。

日露戦争開戦時の電報。ロシアに駐在する公使に国交断絶の通告を命じ、直ちにドイツへ避難するよう伝えたもので、小村寿太郎のサインが確認できます。

このほか、ロシア側がポーツマス条約を承認・同意したことを記した批准書も展示されています。

(日南市生涯学習課文化財係 長友禎治さん)
「ひと月かかって小村寿太郎たちが激論を交わした交渉ですので、出来上がったポーツマス条約の批准書、本物が展示してあります。当時の様子を感じていただけるような立派な展示になっていますので、是非ご覧になって頂けたらと思います。」

「小村寿太郎とポーツマス条約」展は12月1日まで開かれていて、11月23日には講演会も開かれます。

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