あの衆議院選挙から半月、当選した議員の喜びの陰で多くの候補が涙をのみました。

落選した候補たちは今、何をしているのでしょうか。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
おはようございます。

地下鉄の駅から出てきたのは、日本維新の会の音喜多駿前政調会長です。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
先月の選挙戦、大変お騒がせをいたしました。結果は落選となりましたが、ご指導ご鞭撻(べんたつ)をよろしくお願いします。

朝から、有権者への落選報告を行っていました。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
(選挙の)当時は5時間でも6時間でも、12時間とか立ってましたけど、今この落選報告っていうのは1時間が本当に10時間くらいに感じるなと思いながら毎日立ってます。

音喜多氏は、維新の公約を作り上げる立場の幹部でした。

自身と党のさらなる躍進を狙い参院から転じ、衆院選に東京1区から出馬しましたが、選挙戦終盤には、批判のために集まった群衆に取り囲まれ、転倒させられるなどの妨害行為を受ける騒動もありました。

結局、選挙は3位と惨敗。比例復活も果たせませんでした。

今は自称「素浪人」で、選挙区内、約400カ所に貼った政治活動用のポスターも1軒ずつ訪ねては、剥がしていきます。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
自分の顔を剥がさなきゃいけないっていうのは、あまりポジティブな気持ちにはなれないですよね。できるだけ本人が行ってご挨拶して剥がすのが筋だと思うので、できる限り回ろうと思ってます。

大通りに面した一等地にある事務所も、2024年のうちに引き払うといいます。

この日は、国会で総理大臣指名選挙が行われていました。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
(維新議員が)「少なくなったな」という印象がありますね。本当は70~80人受かって、その場に自分もいるはずだったと思うと申し訳ない気持ちと寂しい気持ちといろいろありますね。選挙やってる夢を見て起きることもありますし、やっぱり選挙ずっとやってるんですよね、夢の中でも。落選して起きるんですけども、そういう時にぐったり疲れて起きる。当選する夢は見ない。それはそれでむなしいですけどね。当選する夢を見ても「夢だったのか」って起きてがっかりするぐらいなら落選して起きた方がいいかもしれない。

あの妨害行為については、「刑事・民事両面から司法に訴えて、しっかり白黒をつけると申しますか、しっかり刑罰に処してもらえるよう今、働きかけをしている」と説明。

音喜多氏には、公設と私設合わせて6人の秘書がいました。
その就職先を探し、自らの収入も確保しなければなりません。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
政治の道をあきらめたわけではありませんので、政治活動の時間も確保したいということになると、いわゆるフルタイムの正社員という形になるのかどうかとか、その辺も考えながら就職先、仕事を探さなきゃいけないなと。

その後、コンサルタント会社の非常勤役員の職を得た、音喜多氏。

しかし、政治活動は続けるということで、13日、その姿は衆議院の議員会館にありました。

維新では落選すると、いったん、選挙区支部長を自動的に解任されるシステムになっています。

これからも維新での活動を続けたいのか、党の選挙対策本部が面談で確認します。

日本維新の会・浦野選対本部長代理:
まず最初に今回の選挙戦を終えた自分なりの総括をしてもらえたらと思います。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
今回貴重な機会をただいたのにも関わらず、力が及ばず落選となりましたことおわびを申し上げたいと思います。「維新は自民党と一緒になってたよね?」というところで、野党にもかかわらず、ちょっと“与党枠”に入れられてしまっているんじゃないか。

そして今後、衆議院に再びチャレンジしたいのか、2025年の参議院選挙を目指すのかも問われました。

日本維新の会・音喜多駿前政調会長:
率直に、まだ迷っている気持ちであるとか、今後、逆にどうすればいいと思うかとか、そういったことは話し合いさせていただいた。

2025年の東京都議選に向けては、あの石丸伸二氏が新党を立ち上げる意向を示しましたが、音喜多氏は「石丸新党に行くことはありませんね。選挙でも政策でも切磋琢磨(せっさたくま)して争えばいいんだと思います」と話しました。

これからも維新で活動していくという、音喜多氏。
永田町に戻る日は来るのでしょうか。

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