中学1年生だった横田めぐみさんが、新潟市で拉致されて11月15日で47年となる。半世紀近く解決されないままの拉致問題。母親の早紀江さんは、その歳月の長さ、そして、政治のあり方を嘆いている。
47年…人生に近い時間、引き裂かれたままの母娘
横田めぐみさんの母・早紀江さんが、娘の拉致から47年を前に会見に応じた。
「本当に情けない問題が、どうしてこんなに長引いているのか。5年とかというなら救出まで色々大変だったんだろうな…と思うが、47年。口で言いたくないくらいの長さ、人生に近いような長い間何も見えていない」
娘が拉致された日から47年という歳月が流れ、所感を問われた早紀江さん。節目の度に開かれる会見では、落胆の言葉が聞かれることが増えている。
「肝心の子どもたちのことは何も分からないままで、本当に元気でいるんだと思って活動しているが、全く見えない状況の中にある。そういう悩ましさ、どうにもならない気持ちに、本当に何というか…ガタッとならないように頑張るしかない」
「政治とは何なのか」政府への苛立ちを露わに
「88歳になってしまったものですから、90歳まで生きていられるのか…」
今年2月の誕生日で88歳となった早紀江さん。去年には自宅で倒れ「あと2年だけ生かしてほしい」と祈ったという。その後、大きく体調を崩すことはないものの、「以前はよく転んでいたが、ゆっくり歩くとか、気をつけながら動くようになって転ばないようになっている。ただ、すごく疲れやすい」と、自身の体調に言及した。
それでも毎日、新聞に目を通す事は欠かさない。
「読むものを読まないと分からないことがたくさんあるから、新聞は朝一番に大事そうな所は目を通している」
新聞やテレビニュースを欠かさずチェックする早紀江さんだが、具体的な動きがない中で、拉致問題を扱う記事や放送は少なくなっているのが実情だ。
めぐみさんが拉致されて20年後の1997年。失踪した若者たちが北朝鮮に拉致されていたことが明るみになったことで「拉致被害者家族会」が結成される。
そのときからもすでに27年。被害者家族が救出を訴えた首相は、石破首相で13人目となった。岸田前首相が日朝首脳会談の実現を目指し、北朝鮮との水面下交渉を進めてきたことは、北朝鮮側の談話からも明らかになっていただけに、岸田前首相が自民党総裁選への不出馬を表明した際には「具体的な形を作ろうとしていた中で水面下交渉がリセットとなるので残念」と、めぐみさんの弟で拉致被害者家族会・横田拓也代表はコメントしている。
早紀江さんは、「今までの長い間を見ていても、本気度がなかなか見えない。言いようのないいらだちがある。政治とは何なのだろうという思い。『ダメなんだ』なんて言ってしまったら、もう終わりで『そうですか』とさっと流されるような感覚がある。石破さんが首相になられた代で、とにかく生命を救うという意味で、拉致問題を第一に掲げて取り組んでいただきたいという願いでいっぱいです」
石破首相はそれまでの政権と同様、拉致問題を「最重要課題」と掲げた。ただ、横田早紀江さんが88歳、有本恵子さんの父・明弘さんは96歳と、帰国を果たせていない被害者の親世代は高齢に。「最重要課題」の解決へ、切迫感を持ってあたる必要性は増している。
次期アメリカ大統領 トランプ氏への期待
一方で、次期アメリカ大統領に就任するトランプ氏に対する家族の期待は大きい。前回就任時には史上初めて米朝首脳会談を実現させ、拉致被害者家族とも2度、面会しているトランプ氏。
早紀江さんは、「『こんな大変な問題は日本だけの問題ではない』と家族会みんなで訴えてきたので、トランプさんは覚えていてくださっていると思う。北朝鮮の金正恩総書記というのは大変な人間だと分かった上で、必ず何かの形で真剣に動かれると思う」
日本が主体的に動くことはもちろん、金正恩総書記との会談の実績を持つトランプ氏とこの問題でいかに連携できるかは大きな意味を持つと言える。
「浜辺を見るのは嫌・・・」悲劇の土地となった新潟
横田家は、日本銀行の行員だった父・滋さんとともに全国転勤を重ねた。名古屋で生まれためぐみさんは、東京・広島で成長。そして1976年、拉致が実行される前年に新潟へ引っ越した。
「雪が降るね」「海があるね」と、新天地での生活に期待を膨らませていた一家。しかし、その新潟で突如として愛する娘を奪われる。
会見で、47年前の記憶を問われた早紀江さんは、「新潟に行くのはなかなか心が動かない。あの辺りを見るのが嫌で…浜辺とかあの辺も、とても嫌なところになってしまった。新潟の人には良くしていただいたので感謝しているが、感覚的には耐えられない場所」と答えた。
耐えられない苦しみを47年間、強いられた人生。しかし、それ以上に苦しいのは、愛する娘が北朝鮮で自由のない暮らしをしているということだ。
「ただただかわいそう。私たちは何でも食べられているし、健康でいられる。本当にあの恐ろしい国で、どんな生活しているんだろうといつも思う」
過去を振り返ることはない。望むものはこの先にある
毎年11月15日にあわせて会見に応じている早紀江さん。その節目が、嘆き訴えるためにあることは正しい姿ではないはずだ。
「今は、拉致された当時を細やかに回顧して嘆くということはない。そういうことは、もう何年も何年もやってきたから。今は何か希望につながることが起きたらいいなということだけです」
何か希望につながること。家族は、再会に向けた具体的な動きが今日にも明日にも見られることだけを信じている。
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