文書告発問題を巡る県政の混乱を発端とした兵庫知事選で、斎藤元彦前知事は不信任決議を全会一致で可決した県議会を解散せず失職を選び、出直し選で県民に信を問う形をとった。知事に対する不信任決議が可決された例は過去に4件あり、うち2件で同様の出直し選となった。
長野県では2002年、改築や保守に多額の費用を要することなどを理由に、コンクリートのダムを造るべきでないと「脱ダム宣言」を打ち出した田中康夫知事(当時)と議会が対立。田中氏は失職を選び、出直し選に臨んだ。
公共事業依存から脱却できるのか――。全国的に注目を集めたものの、田中氏以外の立候補者5人の大半が脱ダムを容認したことで争点の中心から消えた。田中氏も「改革を進めるか後戻りさせるか」などと、旧態依然とする議会批判を繰り広げた。
その結果、41年間続いた副知事出身の知事による官僚政治からの転換を望んだ無党派層などを取り込み、田中氏は再選を果たした。
その後、田中氏はガラス張りの知事室、車座集会、30人規模学級の実施といった改革を断行。議会との亀裂はさらに深まり、06年の知事選で新人に敗れた。
徳島県では03年、大田正知事(同)が掲げた大型公共事業の見直しなどに議会が反発。不信任を受けた大田氏は失職し、出直し選に臨んだ。
冷え込んだ徳島県経済が選挙に影を落とし、当時の毎日新聞の世論調査では、知事に期待する政策は「経済」という回答が多く、有権者は対立より安定を重視。自民、公明の強力な組織をまとめ上げた新人候補に軍配が上がった。
「暴言辞任」の泉氏は再選
今回の兵庫県知事選のようにトップの資質が問われた出直し選もある。
同県明石市では19年2月、泉房穂前市長による市幹部への暴言が問題化し、任期途中で辞職。子育て政策などで全国的な知名度を得た泉氏は「市民の判断を仰ぐ」とし、翌月の出直し市長選に臨んだ。
選挙序盤では、泉氏が街頭に立つとベビーカーを押す母親が引き返し、カップルや高校生が立ち止まる場面も。泉氏は「明石市の名を不名誉な形で広めてしまった」と涙ながらにわびる一方、実績を強調。バッシングを「擁護」から「支援」に変え、元職と新人にトリプルスコア以上の差を付け、3選を果たした。【川原聖史】
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