“4カ月遅れ”だった南米初訪問
今回の南米訪問の前に実は年明け1月に幻となった計画があった。
通常国会が始まる前の1月9日からチリ、パラグアイ、ブラジルと3カ国を訪問する計画だったが、まさにその頃、東京地検特捜部が自民党派閥の裏金事件の捜査を進めていて、国内を離れることはリスクが高すぎるとして結局計画を中止した。
政府は正式発表しないままだったが、ブラジルに暮らす約270万人の日系人や企業の経済ミッション関係者には、総理来訪に備えて招集がかけられていた。彼らは約10年ぶりの首脳会談のための訪問を期待していたが、3週間前にキャンセルが伝えられ、肩透かしの形となっていた。
そこで、岸田総理は、国会が休みになるゴールデンウィークで、南米への初訪問にリベンジした。ただ、この“4カ月遅れ”を感じさせる場面があった。
いわゆる「アマゾン基金」への300万ドル(約4.6億円)の拠出は、気候変動対策に熱心なブラジルのルラ大統領に「寄り添う気持ちで」拠出することを決めたと政府関係者が話すが、実はこれは今回新たな打ち出しではなく、すでに2月に上川外務大臣が発表し、3月までに拠出されている。これは、本来、1月に総理が訪問する際の“おみやげ”として準備され、岸田総理の口から初めて発表する予定だったと思われる。
ちなみに、今回の外遊ではアマゾン基金への積み増しもなく、一連の歴訪で政府による資金援助などの表明はほとんどと言っていいほどなかった。総理周辺は「バラマキ外交への批判の強まりを気にしているのはあるだろう」と話す。むしろ、ブラジルのサトウキビ由来のバイオエタノールを使った燃料と、日本のハイブリッド車の技術を組み合わせた技術協力など、Win-Winになることを狙った技術協力などの打ち出しがメインだった。
「バーベキューしよう、フミオ!」
前編にも書いたように、ブラジルはG20=主要20カ国の議長国を務めていて、11月には日本の総理が再び訪問することが決まっている。「総理大臣にはなるべく多く外遊してもらいたい外務省の立場で考えてみても、年に2回も南米に訪問するって、本当にいいのかな。総理秘書官がブラジル勤務経験者(元リオデジャネイロ総領事)だからじゃないの」と外務省関係者ですらやゆしていたのを覚えている。
ただ、別の関係者は、「G20が11月にあるからこそ、先にバイ会談(2国間会談)をして関係強化をしておくべきなんだ」と話し、それは「ブラジルのルラ大統領をキーマンとみている」からだという。
ルラ大統領(78歳)は、幼少期は生計を助けるために日系人のクリーニング店で働いたという話があるように貧しい家庭出身で、1980年に労働者党を立ち上げたという筋金入りの左派政治家だ。ただ、経済社会政策でも反対する人には粘り強く交渉する姿勢などで国民人気が高く、去年12年ぶりに大統領に返り咲き、3期目を務めている、老練な政治家だ。
今回の共同記者発表では、原稿を読まずに自分の言葉で語りかける、そうしたルラ節を聞くことができた。まずは、総理訪問を正面から歓迎するのが通例だが、ルラ氏は違った。「もっとブラジルに来なさい!たまにしか来ないじゃないか。日系人がこんなにいるんだから、就任してすぐに訪問する国の1つにするべきだ」と直言。岸田総理は苦笑いで応じるしかなった。
さらには、2004年の小泉総理との首脳会談でのエピソードを披露した。
「ブラジルのマンゴーは28年もお願いし続けても日本に買ってもらえなかったが、小泉総理にカットされたのを出したら、とてもおいしいと。その4〜5カ月後には輸入してくれた。総理の一言はそれだけ影響がある。食べず嫌いはやめよう」
そして、話題は検疫によって日本が輸入を禁止しているブラジル産牛肉に。
「今度はフミオとバーベキューをやりましょう。ブラジルの牛肉は質が良くて安い。ぜひブラジルから輸入してほしい。総理も、牛肉を食べさせたら”とりこ”になって帰りたくなくなるよ」と会場の笑いを誘いながら、直談判してみせた。
ルラ大統領は、「私たちは途上国ではない。大きなグローバルサウスの国だ」と述べて、投資を呼びかけた。
ルラ氏について、外務省幹部は「左派ではありながら日本のことを理解しようとしていている」として、グローバルサウスを引き寄せるうえでのキーマンだと考えているのだ。
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南米産牛肉の輸入解禁せまる 台湾承認国のパラグアイ 背景には中国の圧力も南米産牛肉の輸入解禁せまる 台湾承認国のパラグアイ 背景には中国の圧力も
外遊3日目は特にハードだった。
午前はブラジリアで前述のルラ大統領との首脳会談と昼食会をこなし、その後パラグアイに移動し、夕方からは、ペニャ大統領(45歳)との首脳会談と夕食会に臨んだ。
このブラジルとパラグアイの2カ国に共通するのは、南米主要4カ国の関税同盟「メルコスール(南米南部共同市場)」のメンバーということだ。いまやチリワインの関税がゼロになり、コンビニなどでも安く気軽に買えるようになっているように、南米の中でも太平洋に面するペルーやチリはTPP=環太平洋経済連携協定により関税が引き下げられている。ただ、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの「メルコスール」4カ国との関税引き下げ交渉は行われていない。
私は外遊出発前に、東京・港区赤坂にある「レストラン・アミーゴ」という都内で珍しいパラグアイ料理店を取材した。妻のルイサさんはパラグアイ人で、帰国すると必ず、バーベキューで歓迎されるという。パラグアイ牛は、「放牧スタイルで、草などの自然にあるものを食べて育つため、油が少なく硬めだが、かめばかむほどおいしい」という。ちなみに、ブラジルと同様、口蹄疫などの検疫問題で輸入が禁止されているため、店では肉質が似ているオーストラリア牛で本場の「アサード(骨付き肉の炭火焼き)」を提供しているという。
実は、3日夜のパラグアイとの夕食会で、このパラグアイ産牛肉で作られた名物の「アサード」が岸田総理にも振舞われていた。油が少なく、かなりよく焼いてあって、レアな部分がない伝統的な調理方法だったという。
牛肉の輸入解禁を日本に迫っている点は、ブラジルと同様だが、パラグアイは1つ事情が違う。それは、パラグアイは南米唯一の台湾承認国ということだ。
今回の首脳会談の場でも、パラグアイ側は口蹄疫の検疫調査などの書類の束をバサッと机の上に出し、改めて早期の禁輸解除を求めたというが、さらにペニャ大統領から「中国からは牛肉を買いますと言われているんですよね」という言葉があったという。中国としては、牛肉輸入をテコに、台湾承認国のパラグアイを自分の方に引き寄せようという思惑が透けて見える。
日本政府としては、こういった禁輸の解除に加えて、さらにメルコスールとの間で関税引き下げ交渉に入ることは、食料安全保障という観点で考えても輸入先の多角化は必要だし、外交的にも国益につながるということで、前向きというのが本音だ。
経団連なども「早期のメルコスールとのEPA=経済連携協定の交渉実現」を求め、岸田総理に直接申し入れを行っている。
ただ、日本側としても二つ返事で交渉開始とはいかない理由がある。それは、TPPの交渉時にも見た風景と同じだ。「日本の国益、農業・畜産を守らなければならない」として与野党問わず、経済連携協定の交渉に反対する議員が多くいるからだ。今回も、自民党の農水族はメルコスールEPA交渉入りに強く反発する姿勢を示した。
「寝転がってでも止める。TPPでも日本の畜産業は痛めつけられているのになんでまた同じことをするんだ」と。
政府関係者は、G20首脳会合がブラジルで行われる「11月に大きな成果を収めるべく取り組んでいる」と話す。ただ、9月の自民党総裁選挙の行方や衆議院解散総選挙がすでに行われているのかどうかなど、その時の政治状況はどうなっているのだろうか。
テレビ朝日 官邸サブキャップ 澤井尚子
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