[心のお陽さま 安田菜津紀](29)

 「中立とは何か。多数派と少数派の中間に立って、強いものと弱いものの中間に立って、何が中立か」-。水俣病と向き合い続けてきた医師、故・原田正純さんの言葉が、永野三智さんの著書「みな、やっとの思いで坂をのぼる」に綴(つづ)られている。国はもはや、建前ばかりの「中立」さえ、かなぐり捨てたのだろうか。

 水俣病犠牲者慰霊式が行われた5月1日、患者・被害者団体と伊藤信太郎環境大臣との懇談会の場で、「事件」は起きた。水俣病患者連合の副会長、松﨑重光さんがマイクを握る。自身の妻・悦子さんが、「痛いよ痛いよと言いながら死んでいった」と訴える最中、環境省職員が「話をまとめて」と横やりを入れて、マイク音を絞って遮った。同様の「遮断」に遭ったのは、松﨑さんだけではない。しかし大臣も、熊本県知事も、水俣市長も、誰もその振る舞いを止めなかった。

 3分経(た)ってマイク音を絞る運用は、環境省の「台本」に書かれており、当日それをアナウンスしそびれた、というのが彼らの言い分だ。

 伊藤環境大臣は後に謝罪をし、松﨑さんの元も訪れたが、メディアの前で笑って握手を求め、一方的に「和解」を演出するような様は不誠実に思えた。

 5月10日、木村敬知事は定例会見で、患者などへの中傷があってはならない、と言いながら、懇談会当日の患者団体などの抗議を「つるし上げ」と言い、「ぐだぐだともめた」とも表現した。「つるし上げ」は撤回したが、こうした態度自体が中傷を煽(あお)るのではないか。

 そもそもなぜ、いまだに被害者自ら実情を訴えなければならないのか。裁判が各地で続き、原告を水俣病と認める判決が出ても、国・県は争う姿勢を崩さない。裁判に訴え出ることができない被害者たちもいる。

 つい先日も、永野さんが常務理事を務める水俣病センター相思社から販売されている柑橘(かんきつ)が届いた。柑橘類の生産は、健康被害と海の汚染で、陸に上がることを余儀なくされた漁師たちがはじめたのだという。その瑞々(みずみず)しい味わいに触れながら、思う。「中立」という「無難に見える立ち位置」から傍観するだけの社会でいいのだろうか、と。(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

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