円の購買力は1990年頃の半分に低下
現時点の為替レートは歴史的な円安だと言われる。通常、それは150円という市場為替レートの水準を過去の水準と比較することによって言われる。しかし、1980年代の市場レートは、150円よりずっと円安だった。いまがなぜ「歴史的な円安」なのかを理解するには、購買力平価と比較することが必要だ。
購買力平価は理解しにくい概念だ。これには、いくつかの異なる概念がある。
第一は、「実質実効為替レート指数」だ。この指標は、BIS (国際決済銀行)が計算している。2020年 を基準年にし、それ以外の時点の購買力が基準時点と比べてどの程度の水準にあるかを示す。このため、「相対的購買力平価」と呼ばれる。
その推移は、図表1に示すとおりだ。2024年3月では70程度だ。過去のデータを見ると、1990年代始めには、150程度だった。95年には180程度にまでなった。したがって、95年頃の日本円の購買力は、現在の2.5倍程度あったことになる。
しかし、これをピークとして、それ以降、日本円の実質実効為替レートは傾向的に下落した。2010年の円高期に1時回復したが、2013年の大規模金融緩和で急速に下落し、100程度の値になった。そして、2021年以降、さらに下落した。
現在の日本円の市場為替レートは1990年頃の水準にまで低下したが、この頃の実質実効レートは150程度であり、現在の約2倍あった。
1990年以降、日本の物価上昇率はアメリカの物価上昇率に比べて低かった。この状況下で購買力を維持するためには、円高になる必要がある。それにもかかわらず、市場為替レートが当時とほぼ同じであるために、現在の実質実効為替レートは、1990年頃より低くなっているのだ。
ところで、相対的購買力平価は基準時点との相対的な比較であるため、任意の時点での「あるべき為替レートの水準」を示すことにはならない。それができるのは、基準時点が何らかの意味で「あるべき状態だった」と評価される場合だけだ。
そこで、任意の時点での「あるべき為替レート」を示すものとして、次項で述べる「絶対的購買力平価」が計算される。
ビッグマックによる比較適切なレート
「絶対的購買力平価」は、ある時点において、世界的な一物一価を実現するような為替レートのことだ。
絶対的購買力平価としては、さまざまなものが計算されている。その1つに、イギリスの経済誌『エコノミスト』が作成する「ビッグマック指数」がある。これは、ビックマックの価格が世界で均等化するような為替レートを計算し、それを現実の市場レートと比較するものだ。最新の結果(2024年1月公表)を見ると、次の通りだ.
日本でのビッグマックの価格は450円。アメリカでは、5.69ドル。これらを等しくする為替レートは、1ドル=79.09円。ところが、実際の市場レートは、147.85円。したがって、円は、46.5%過小評価されていることになる。
ビックマック指数では、ビッグマックという商品だけを取り上げて計算している。ビックマックは、世界中どこでもほぼ同品質のものと考えられるので、その価格を比較することには意味がある。
しかし、1つの商品だけで評価していいのかどうかという問題がある。そこで、さまざまな商品のバスケットを考え、その平均的な価格について世界的な一物一価が成立するような為替レートを計算することが考えられる。このような購買力平価が、OECDや IMFによって計算されている(これら2つの指標は、ほぼ同じものだ)。
日本は外国に比べて相対的に貧しくなっている
図表2に見るように、IMFの購買力平価は、1980年代の前半には、1ドル220円程度であった。その後、円高への動きが続き、現在では1ドル90円程度だ。
購買力平価が円高になったのは、日本の物価上昇率が、諸外国の物価上昇率より低いからだ。日本の物価上昇率が諸外国のそれより低ければ、為替レートが円高にならない限り、一物一価を維持することができないからである。
そして、こうしたことが生じるのは、日本が外国に比べて相対的に貧しくなっているからだ。これは、次のように考えると理解できるだろう。いま、賃金上昇率が物価上昇率に等しいとすれば、日本人の賃金が伸びないのに、外国の商品の価格は上がっていく。このため、為替レートが不変では、それまで買えた外国のものを買えなくなる。以前と同じものを買えるためには、為替レートが円高にならなければならない。
図表1、2から購買力平価と市場レートの比較をすると、次のとおりだ。
図表2に見る通り、1980年代前半には、市場レートが購買力平価より円安だった。つまり、この時代には、円は過小評価されていた。これは、図表1で、市場為替レートが実質実効レートより円安だったことに対応している。
1980年代後半からは、市場レートが購買力平価より円高である時代が続いた。つまり、この時代には、円は過大評価されていた。これは、図表1で、市場為替レートが実質実効レートより円高だったことに対応している。この傾向は、特に1990年代後半や2010年頃に顕著だった。
ところが、2013年からこの関係が逆転し、市場レートは、購買力平価より円安になった。これは、大規模金融緩和政策導入の影響だ。とは言っても、市場レートと購買力平価の乖離は、さほど大きなものではなかった。2015~2019年には、市場レートは、購買力平価より1割ほど円安だった。
現時点での円安は「歴史的」
これが一変したのが、2022年からだ。市場レートが購買力平価より円安であることに変わりはないのだが、両者が大幅に乖離し、市場レートは、購買力平価に比べて大幅に円安になった。
IMFによる2024年の推計値では、購買力平価が1ドル91.378円であるのに対して、市場レートは148円だ。市場レートと購買力平価がこれほど乖離したのは、1980年代前半以来のことだ。図表1では、80年代前半の乖離のほうが大きいが、図表2では、現在の乖離の方が大きい。この意味で、現時点の円安は「歴史的」なのである。
こうなったのは、もともと物価上昇率の差がある上に、市場為替レートが急激に円安になったからだ。これは、世界の中央銀行が金融引き締めに転じた中で、日本銀行だけが過度な金融緩和を継続したことの結果だ。
この状態は、日本経済にさまざまな問題を引き起こしている。この惨状をどう立て直していくかが、日本銀行に課された大きな課題だ。
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