松江市出身のピアノトリオバンドで人気急上昇中の「Omoinotake(オモイノタケ)」。2024年1月にリリースした「幾億光年」が大ヒットを記録するなど、その活躍ぶりがさらに注目されている。今回TSKの取材に応じ、作詞や作曲に込めた思いなどを語ったインタビューを3回に分けて掲載する。
聞き手は、ベースのエモアキこと福島智朗さんの弟でTSKの福島睦アナウンサーが務めた。
福島睦アナウンサー:
前回インタビューさせて頂いた2022年の時は、私が入社1年目で、約2年ぶりになるので、私も少しでも成長した姿を見せられたらなと思います。
エモアキ(福島智朗)さん:
前回は同じことを2回聞いてきたりしたね(笑)。
福島睦アナウンサー:今回は2度同じ質問をしないよう気を付けます(笑)。
さて『幾億光年』のロングヒットが続いていますが、この大きな反響をどのように感じていますか。
レオ(藤井怜央)さん:
ここまで大きくヒットするのを作っている最中には想像していなかったので、まずそれが嬉しいのと、本当に長い間たくさんの方に聞いていただいている実感がすごくあるので、それもまたさらにもう一段階、結構びっくりしていて、本当にあの時にこの曲ができてよかったなって思います。
福島アナウンサー:
私も先日コンビニに行くとBGMで流れてきて、スーパーに行っても流れてきて、街中で聴けるといつも嬉しくなります。
ドラゲさんは、家族や友人から反響はありましたか。
ドラゲ(冨田洋之進)さん:
中学時代の友人から『ランキングトップ9』みたいな画像が送られてきて、「すげえなっ」というメッセージをいただきまして。
「俺すげえ」って言いました。(一同笑い)
福島アナウンサー:
福島家でも祖母がすごく喜んでいますが、エモアキさんいかがですか。
エモアキさん:
そうですね。やはり家族が一番に喜んでくれているのが伝わってきてすごく嬉しいですね。わざわざおばあちゃんとかが、自分で探して聞きに行かなくても、街から(楽曲が)聞こえてきたりするっていうのが、すごく嬉しいことだなと思います。
福島アナウンサー:
最近は福島家のLINEグループもにぎやかで、「こんな大きな会場でライブをした」とか、「こんなランキングに入った」とか、明るい話題を届けて貰っています。
福島アナウンサー:
結成して12年が経つ中で、こうして多くの人に楽曲を聴いてもらうに至るまでは、決して簡単な道のりではなかったと思います。12年間を振り返ってどのような心境ですか。
ドラゲさん:
12年を振り返って、やはり1番は「続けてきてよかったな」と本当に思いますね。それに尽きるなという感じです。
福島アナウンサー:
例えば音楽を辞めたいと思ったことや、苦しかった時期などはありましたか。
ドラゲさん:
無限にありますね。それはやはりすごく。この前、元々在籍していた専門学校にお話に行くことがあって、(学生に)本当に伝えたかったのが、音楽でご飯を食べていくこととか、それを職業にすることは難しいことだよと。1番に伝えたいくらい、本当に20代の頃とかは特にしんどかったというか…。しんどかったですけど、好きだからできたとという感じなので、本当に続けてきてよかったと思います。
福島アナウンサー:
そんな苦しい時期もある中で、これまでのインタビューでもよくお話しされていますが、渋谷を中心にストリートライブに精力的に取り組んだことが、ここまで駆け上げるきっかけになったのですよね。
エモアキさん:
ずっとずっとお客さんが増えなくて増えなくてという時期が本当に長かったので、その時に「じゃあやめよう」とならずに、「ストリートに出よう」と決断できたことが、今に繋がっていると思うので、あの時そういう決断をみんなでできてよかったなと思いますね。
福島アナウンサー:
私も大学時代に関東にいたので、よくストリートライブを観に行っていましたが、「Omoinotake」のことを知らない人が足を止め、音楽に魅了されていくあの雰囲気が大好きでした。
「Omoinotake」インタビュー【2】に続く
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