作曲家・湯浅譲二さんが、肺炎のため亡くなっていたことが、東京コンサーツの公式サイトで公表されました。
公式サイトでは、「作曲家、湯浅譲二氏が去る 7月21日(日)8時43分肺炎のためご自宅で逝去されました。享年94。」と、報告。
続けて「葬儀は近親者のみで既に執り行われ、後日お別れの会を予定しています。」と、しました。
公式サイトでは生前のご厚誼に感謝申しあげ、ここに謹んでお知らせいたします。尚 ご遺族の意向により供物・供花の儀は固くご辞退申し上げます。」と、記しています。
【 湯浅譲二さん プロフィール 】
1929年福島県郡山市生まれ。
少年期より音楽活動に興味をおぼえ独学で作曲を始める。
49年慶応義塾大学教養学部医学部進学コースに入学。在学中より秋山邦晴、武満徹らと親交を結び、51年「実験工房」に参加、作曲に専念する。
以来、オーケストラ、室内楽、合唱、劇場用音楽、インターメディア、電子音楽、コンピュータ音楽など、幅広い作曲活動を行っており、国内はもとより、世界の主要オーケストラ、フェスティバルなどから多数の委嘱を受けている。
これまでにニューヨークのジャパン・ソサエティ、DAADのベルリン芸術家計画、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ音楽院、トロント大学など世界各国から招聘を受け、また、ハワイにおける今世紀の芸術祭、香港のアジア作曲家会議、英国文化振興会主催の現代音楽巡回演奏会、アムステルダムの作曲家講習会などに、ゲスト作曲家、講師として参加するなど、国際的に活動。
81年からカリフォルニア大学サンディエゴ校教授を務め(現在名誉教授)、日本大学芸術学部、東京音楽大学、桐朋学園大学等で後進の指導にあたる。1997年、「ヴァイオリン協奏曲―イン・メモリー・オブ 武満徹─」により第45回尾高賞を受賞。同年、第28回サントリー音楽賞を受賞。1998年から2011年まで、「サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ」の監修を務めた。2010年、国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員に選ばれる。
受賞:ベルリン芸術祭審査員特別賞(1961)、イタリア賞(1966、67)、ヴェネチア国際記録映画祭サン・マルコ金獅子賞(1967)、尾高賞(1973、88、97、2003、2024)、日本芸術祭賞(1973、83)、飛騨古川音楽賞大賞、京都音楽賞大賞(1995)、サントリー音楽賞(1996)、芸術選奨文部大臣賞(1997)、紫綬褒章(1997)、日本芸術院賞・恩賜賞(1999)、第23回日本アカデミー賞映画音楽優秀賞(2000)、文化功労者(2014)。
【 株式会社 東京コンサーツ 公式サイトより引用 】
訃報 湯浅譲二が逝去されました
2024年8月4日(日)
作曲家、湯浅譲二氏が去る 7月21日(日)8 時 43 分肺炎のためご自宅で逝去されました。
享年94。
葬儀は近親者のみで既に執り行われ、後日お別れの会を予定しています。
喪主 湯浅龍平(長男)
生前のご厚誼に感謝申しあげ、ここに謹んでお知らせいたします。
尚 ご遺族の意向により供物・供花の儀は固くご辞退申し上げます。
湯浅譲二さん写真:© Jun'ichi Ishizuka
【担当:芸能情報ステーション】
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