1976年放送開始の『徹子の部屋』では、初期の頃から戦争を体験した芸能人をゲストに呼び話を聞いてきた ©TV ASAHI
<櫻井翔が8月11日(日)放送の『徹子の部屋』戦争特番に出演。「戦争の記憶」を伝える先輩・黒柳徹子が託したバトンを櫻井はどう受け取ったのか>
報道番組のキャスターとして10年以上にわたって「戦争の記憶」を取材し続け、2021年には本誌に家族の「戦争の記憶」について記事を寄稿した嵐・櫻井翔(42)。
その櫻井が、『徹子の部屋 「戦争」を忘れない~櫻井翔が聞く黒柳徹子の記憶~』(テレビ朝日系列にて8月11日午後1時55分~放送)に出演し、司会の黒柳徹子(90)に彼女自身の戦争体験を聞きながら、黒柳が過去に芸能界のスターたちに戦争体験を聞いてきた映像を振り返る。
黒柳は昨年10月に自身の戦争体験を記した『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)を上梓し、他方で1976年に放送を開始した『徹子の部屋』でも、初期の頃から第2次大戦を体験した芸能人をゲストに呼び話を聞くことを続けてきた。
93年に放送された戦争特集回の冒頭で、黒柳はこう語っている。「どんどん戦争を知ってらっしゃる方の年齢が上になってしまって、ご存じない方の数がもう圧倒的に多くなってまいりました。でもやはり、テレビの中の大きな仕事の1つには、知っている人が知らない人たちにいろんなことを伝えていくということもあると思いまして、私たちは(戦争特集を)毎年続けております」
実際に戦争を体験した世代が年を追うごとにいなくなるなか、櫻井は戦争の記憶を伝えることにおいて「先輩」である黒柳からどんなバトンを受け取ったのか。本誌・小暮聡子が櫻井に聞いた。
◇ ◇ ◇──今回の戦争特番のきっかけとして、櫻井さんから黒柳さんに戦争体験を聞きたいと手紙を書いたそうだが。
入り口としては、徹子さんにテレビ創成期の話を聞きたいというところから始まり、それと同時に、せっかくお話を伺えるのなら、「黒柳徹子の戦争」について聞きたいと思って手紙を書いたのが出発点だった。
戦争の話を聞く際には、心の奥底にしまってきたもののふたを開けてしまう可能性がある。徹子さんにも、もしかしたら苦しいお願いをしてしまうことになるかもしれないと思ったけれど、徹子さんは、いつでもお話ししますと返事をくれた。
今回の戦争特番に際して思うことは、自分でも10年以上にわたって戦争の記憶をお伺いしてきたなかで、当時の体験を聞くには時間がなくなってきているというのが1つ。あとは、どんどん過去の話になっていくと、ともすればあの時代が「大河ドラマ」の世界になってしまうのではないかという危機感がある。
そういうなかで、映像の力を借りて、白黒の世界をカラーのものとして、身近なものとして特に若い人に知ってもらいたい。時には「怖い」とすら思ってもらいたい。というのが、今回の企画への僕の思いのきっかけだった。
櫻井は黒柳に、戦時中に米軍が日本国民に対して作ったビラを見せる。複数の都市への爆撃予告と避難を呼びかける内容だ ©TV ASAHI──番組の中では、誰もが知る芸能界のスターたちから、黒柳さんが生々しい戦争体験を聞き取ってきた映像が紹介される。
過去の映像を見ていて、聞き手である徹子さんも時に言葉を詰まらせたり、涙されたり......やっぱりつらいじゃないですか。ご自身もあの時代を生きてきて、なお聞き続けるということは、時に自分の心もえぐられることもあると思う。
それでもこうして記録に残るものを積み重ねてこられたことには、ある種の執念というか、思いの強さを感じる。
──番組の中で、櫻井さん自身も戦争体験者の「孫世代」に取材をし、自分と同世代である彼らが、絵画や映画を通して祖父の戦争体験を伝える活動を紹介する。
同じ世代で戦争と向き合っている彼らに会って、めちゃくちゃ心強い仲間を見つけた気持ちになった。それと同時に、恥ずかしくもなった。自分は全然、(彼らの域に)至っていないなと。うれしいし心強いというのが半分と、やられた! すごい! という気持ちが半分。それらを総じて、うれしかった。
──孫世代の彼らは、戦争を体験していない自分が伝えることについて、悩みながらやられているというのが伝わってきた。櫻井さんも、以前本誌にご自身の祖父と大伯父についての戦争の記憶について寄稿した際、同じような葛藤を語っていた。
共感するところもありつつ、悔しかったのは、彼らはおじいさんから直接話を聞いているんですよね。そこには圧倒的な違いがある。
彼らは実際に祖父の苦しみを聞いているし、たぶん自分の中に相当落とし込んでいる。だからこそ、あれほどの体験を自分が代弁していいのかという葛藤がある。僕は祖父から直接、戦争体験を聞けていないので、そこは明らかに違う点だった。
──実際に聞いているからこそ、伝えることへの思いも生まれる。今は、戦争を知る人に話を聞ける最後のチャンスでもある。
本当に、この数年で大きく変わってしまうかもしれない。一方で、ああやって映像に、あるいは活字に残しておけば、いつでも引き出しは開けられる。残しておくということが重要だとも思う。
──櫻井さんは今もご自身の家族の戦争の記憶をたどることを続けているそうだが、その動機は?
1つは単純に、自分のいわばファミリーヒストリーを知りたいから。祖父母や曽祖父という自分にとっての直系の話だけではなくて、親戚を含めて、あの時代に自分の親戚がどう生きたのかを知りたい。あとは、自分の家族のことを伝えることが、一番気持ちと温度を乗せて伝えられるからかもしれない。自分自身がつらいと感じながら、自分のこととして伝えられる。
これは僕の仮説だけれど、僕らの親世代には、(祖父母世代に)聞けないよな、触れられないよなっていうのがあったのではないか。親世代が触れづらかったとするならば、僕ら孫世代の担う責任というのがあるのかもしれない。僕たちよりももっと下の世代になっていくと、それこそ白黒フィルムの過去の歴史の話になってしまうだろうから、どう伝えていくのかを考える意味でも、今回の戦争特番は意義深いと思っている。
──今年の春から櫻井さんは事務所との関係をエージェント契約に変えた。今後の櫻井さんの仕事の中で、戦争の記憶を伝えることを含めて、報道はどういう位置付けになっていく?
報道、あるいは伝えるということに関しては今までと変わらず、でも今まで以上に取り組んでいきたいとは思っている。強いて言うなら、なるべく現場で人に会って取材して伝えることをしていきたい。
能登半島の震災についてもそうだけれど、実際に現場に行き、お会いしないと分からないことがたくさんある。今まで以上に、取材して伝えるということができれば理想だなと思っている。
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