「『中国の経済不安』と掛けまして『栄養ドリンク』と解きます。その心は? 『元、気になります(元気になります)』」-。沖縄の謎掛け名人として活動13年目を迎えるケーシーさん(49)。イベントやラジオ番組で活躍する日々を送る。実は持病のてんかんに悩まされ働けなくなった過去があり、「社会からはじき出された」と感じたこともあったが、得意の謎掛けで人々を喜ばせられていると気づけた時から自信を取り戻し、発作も大きく改善した。かつての自分と同じ境遇の誰かに届けるように、ゆっくりと言葉を発する。「何でも良いから好きなことを見つけてください。三日坊主で始めてみても大丈夫。30歳を過ぎてから自分の武器に出合った私が言うんだから、間違いありません」
オチを決めた後のいつものポーズを決めるケーシーさん=7月、那覇市内きっかけはラジオ番組
ケーシーさんの人生が謎掛けと交わったのは2011年。当時ラジオ沖縄で放送されていた「What a(わったー) ラジオ」。毎週火曜日にあった謎掛けのコーナーに、何気なく作ったネタを送ってみた。「ねづっちさんが頻繁にテレビに出ている時で、自分でも、こんなもんかなと作ってみたんですよ」。当時のラジオネームは「ケーシー高飛車」。今でもそのネタは覚えている。「『ドラゴンボール』と掛けまして『反町隆史』と解きます。その心は? 『7個(菜々子)必要です』」。
ケーシー高飛車は、常連投稿者になっていった。
中1の時から、ラジオを聴いてお便りを送るのが好きな少年だった。「学校ではおとなしかったんですよ。今で言う『陰キャ』ですね。でも、ラジオの前ではがきを書いている時は、本当の自分でいられたんですよ」。今もその時のラジオ局のあて先はすらすら言えるほど覚えている。
会社の朝礼で起きた〝事件〟
そんなケーシーさんの人生に、一つの壁がそびえ立っていた。20歳の時から持病となったてんかんで一般の仕事に就くのが難しくなってしまったのだ。当時は今と比べて医療や社会制度の面で、てんかん当事者にとって一般就労のハードルがより高い状態にあった。今まで自分がてんかんを持っていることを隠してきたが、それが逆にストレスになり、発作につながることもあった。それならば、てんかんを持っていることを開示して、障がい者枠で求職を始めよう。そう考えて、2009年に精神障害者保健福祉手帳を作った。「抵抗はありました。『この先苦労する人』って周囲から思われるなぁ、とか」
持病のてんかんによる就労面での苦労を振り返るケーシーさん=7月、那覇市内就労支援で仕事をしたり、各種講座を受けたりした3年間。ラジオの謎掛けコーナーに初めてはがきを送ってみたのは、まさにこの時期だった。この3年間が功を奏し、一般企業への就職が叶った。グループ会社を多く抱える大企業だった。当初はびくびくしながら出勤していたケーシーさん。入社から2週間後の朝礼で、小さな事件が起こった。
「今日から高嶺君(ケーシーさんの本名)に、毎朝謎掛けをやってもらいます」。上司の突然の発案だった。謎掛けが好きなことは就職面接時に伝えていた。「『はっ!?』って思いましたけど、『ちょっとうれしいかも』って」。謎掛けを披露すると、「一日が笑顔で始まるのはいいこと」だと言ってもらえた。
人前で輝くことができた瞬間だった。
生き抜くための武器
得意の謎掛けを通して、心に自信を持つことができた。「すごい」「うまい」と言われるようになり、人を喜ばせられているんだという自負を育むことができた。精神状態とも密接な関係があるてんかんの症状。それからもう10年以上、てんかんで気を失うことはなくなった。「もしも謎掛けと出合っていなかったらと思うとぞっとします」と腕を抱きながら話すケーシーさん。人生を生き抜く武器を手に入れた。
現在はレンタカー会社に勤務。転職時の履歴書には「特技:謎掛け」と胸を張って書いた。職場からも「特技を生かしてほしい」と、謎掛けで利用客を楽しませるなど日々の業務も充実しているという。
同じようにてんかんで苦しむ人や、自分の夢が分からない人にこんな言葉を送る。「何でもいいから挑戦してみてほしいです。子どもの時に好きだったことをもう一度やってみてもいい。自分も、子どもの時から好きだったラジオがきっかけになりました。道に迷ったら私のことを思い出して」
謎掛けを武器にスタンダップコメディのステージに立つケーシーさん=7月、那覇市内新たなターニングポイント「謎掛けは教育にも」
ケーシーさんは、謎掛け新ステージに立ちつつある。学童クラブや児童館などで子どもたちに、言葉遊びの一環として謎掛けを教える活動も2018年から始めた。「『お天気』と掛けまして『キャンディ』と解きます。その心は?」。子どもたちはうれしそうに手を挙げる。
「謎掛けって教育にも役立つって分かってきて。語彙(ごい)力、創造力、発想力の三つを試すことができます」。謎掛けは自分のためでもあり、喜んでくれる人のためでもあり、そして子どもたちのためにもなると知ったターニングポイントとなった。
最後にもう一題。「『ターニングポイント』と掛けまして『私の持病』と解く。その心は? 『転換期になる(てんかん気になる)』でしょう」
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