共通点は「美しさ」
きっかけは2017年の1月、マレーシア旅行で目にした光景だった。イスラム教圏への旅は初めてだったという小林さんは、それまでヒジャブに対して地味なイメージを抱いていた。
ところが、街中を歩くムスリマたちの装いや市場に並ぶヒジャブは、予想に反して色鮮やかで、デザインも豊富。あまりの美しさに衝撃を受けた。
マレーシア旅行中の小林さん(写真は小林さん提供)
その瞬間、「アンティーク着物を使って、ヒジャブを作ったらどうだろう?」とひらめいた。「大学では日本史を専攻し、昭和初期の風俗を研究していました。大正から昭和の着物は派手な色柄が多く、『ヒジャブと着物には似た美しさがある』と直感したのです」
マレーシアで小林さんが撮影した色とりどりのヒジャブ(写真は小林さん提供)
「帰ったらミシンを買う!」
着物を見るのは好きだが、知識があったわけではない。それでも、無性に作ってみたくなった。旅先で夫に「帰ったらミシンを買う」と宣言。帰国後すぐ、祖母宅に眠っていた古い着物をもらい受けた。着物と異素材の布を組み合わせるアイデアが浮かび、手芸店で薄手の生地を購入した。縫製は学生時代の家庭科以来だったが、イメージのまま帯状に裁断し、縫い合わせた。
「最初は趣味のようなものでした。ヒジャブが出来次第フリマサイト(インターネット上のフリーマーケット)に出し、月に1~2枚売れる程度。縫製は独学ですが、どうしたらよりよくなるか研究と試作を重ねました」
「イスラム文化とは無縁だった」と振り返る
ヒジャブについてSNSで質問すると、世界中の見知らぬムスリマたちから返事が届く。中には直接会って教えてくれる人もいて、やり取りしたイスラム教徒は皆親切だった。
「それなのに、モスクを見学すると言っただけで、周囲の人から『危ない』と反対されました」
当時、世界各地で起こっていた過激派組織「イスラム国」によるテロが、さかんに報道されていたことが影響したのだろう。
「“イスラム教=怖い”といった印象が広がっていたためです。自分に近しい人たちの理解を得られないことが、いちばんつらかったですね。知人に『なぜわざわざイスラム教徒と付き合うのか』と聞かれたこともありました」
「ヒジャブは皆のものだから」
小林さんは2012年、夫の赴任に同行して暮らした上海で、正反対の体験をした。反日運動が活発化し「日本人と分かる格好で外に出ないほうがいい」と警戒感が高まっていた。ところが、街の人は皆温かく、「報道と実態は異なる」と強く感じた。
ヒジャブを通じて交流する機会がなかったら、自分もイスラム教徒を誤解していたかもしれない。知識不足が偏見を生んでいるのではないか。
「自分は、家に仏壇はあるものの、さほど強い宗教観を持ち合わせていません。イスラム教の持つ神秘的な雰囲気と、ファッション性に引かれてヒジャブを作り始めましたが、イスラム教徒と勘違いされることもあり、『ムスリマでない私が、ヒジャブを作ったり身に着けたりしてもいいのか』という疑問を常に抱えていました」
そうした迷いを吐露すると、ムスリマたちは口をそろえて「ヒジャブは皆のものだから」と後押ししてくれた。誰が作っても、誰が着けてもいい。イスラム世界は思っていたより間口が広かった。悩みが吹っ切れると同時に、「イスラム教徒は怖い存在ではない。日本人が抱きがちな先入観をなくしたい」という思いが強まった。
カジュアルに着物を楽しむ「紗」
高温多湿なマレーシアで見たヒジャブは、サラリと軽やかなシフォン生地が使われていて、流れるようなドレープが美しかった。
日本の着物にも、蒸し暑い夏に適した薄手の織物がある。それが「絽(ろ)」と「紗(しゃ)」だ。紗のほうがよりサラサラで通気性が高く、透け感が強い。絽は正装用なのに対し、紗はカジュアルな装いに向く。
紗は織物の一種。透け感があって涼しげだ
着物を普段から着る人は、日本人ですら多くない。着物をヒジャブに仕立てればもっと気軽に身につけられるが、着物地は厚くて重いのが難点だ。「シフォン生地と組み合わせ、サラサラした軽いヒジャブに仕立てることで、誰もが着物の美しさをカジュアルに楽しめるはず」
小林さんの描く着物ヒジャブのコンセプトに、サラリとして普段使いに向く「紗」の持つイメージは、ぴったりだった。店名を「紗紗 xiaxia hijab Japan」(以下、紗紗)とし、旅行からわずか9カ月でオンラインショップを立ち上げた。
着物を買い取るため古物商免許も取得した
着物+ヒジャブ=アップサイクル
個人の小さなオンラインショップを探し当てて購入してくれる人が増え、そのうちに「作ってくれてありがとう」という声が寄せられるようになった。日本の伝統的な着物の色柄は海外で人気が高く、プレゼント用に購入する人も多いという。
「いかにも日本らしいモチーフが好まれますが、日本では定番でもイスラム教では宗教的にそぐわない絵柄も少なくありません。日々学びながら、試行錯誤しています」
日本らしい柄が人気。色はピンクが最も好まれる
着物は、なじみの古着屋を巡って仕入れる。小林さんがヒジャブに向くと感じるデザインは一般的な「売れ筋」ではないため、買い付けに行くと喜ばれるそう。アンティーク着物を使ったヒジャブ作りはアップサイクルで環境にやさしく、時代に即している。
仕入れたアンティーク着物は華やかな色柄物が中心
同じ色柄はない“一点物”
仕入れた着物はまず、全ての糸をほどく。すると、大きさはまちまちながら9枚ほどに分解できる。ヒジャブにするのは表地だけで、裏地は使わない。
糸をほどくと、全て四角い布になる
着物は大抵、絹素材で繊細なため、基本的には水のみで手洗いする。汚れがひどいものは洗剤を少量使ったり、しみ抜きをしたりと手間がかかる。陰干しし、乾いたら再度洗い、アイロンをかける。傷んだ部分などを除いて裁断。状態にもよるが、ヒジャブに適したサイズが5枚から10枚ほど取れる。
ここから、デザインを検討する。同じ着物はないため、いずれも“一点物”だ。「どの色と合わせようか、生地の薄さは…などと考えるのが、いちばん楽しい作業ですね」
色見本と照らしてデザインを決める
異素材をきれいに縫製するのは至難の業
動画を転機に大ヒット
2020年4月、新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言が発令されると、訪日観光客は激減。小林さんも混乱の中で体調を崩したが、「誰かが喜んでくれるかぎり」との思いで地道に製作を続けた。22年5月、東京・多摩のアンテナショップに出店、実店舗の販売を開始した。観光客が戻ってきた23年、東京・原宿の観光案内所に商品を置いたところ、人気が上昇。その年末に、さらなる転機が訪れた。
「たまたま制作に協力した訪日観光客向けの動画が、爆発的にヒットしたのです。12月30日に公開されたと思ったら、年明け1月2日、原宿の店舗から在庫切れの連絡が入りました。そこからは、目の回る忙しさで」
「春頃まで、ほとんど寝ていなかったね」と、夫の慶太さんが言葉を継ぐ。慶太さんは、情報関連の会社で営業を担当する。渉外能力を生かし、妻をサポートするようになったという。
忙しさが増した妻の仕事を手伝う慶太さん
「理解が進んでいる」と実感
紗紗として事業を始め、今年で7年目。3月には「豊洲千客万来」、5月には東京・浅草のハラルショップにも販路を拡大。ネット通販の受注分も含め、今や月に100枚近くの着物ヒジャブを製作する。人手が足りず、一部の工程を委託するようになったが、着物やシフォン生地の買い付け、デザインなど、受注から発送までのほとんどを小林さんが担う。
アラビア語担当スタッフも着物ヒジャブを着用
店舗の顧客はほぼ、海外からの訪日観光客だ。当初は東南アジア方面が多かったが、現在は米国、中東、ヨーロッパからの観光客にも需要があるという。
「7年前に比べ、日本でもハラル食材店やヒジャブ姿の女性を見かけることが増えました。イスラム文化への理解も、以前よりは進んでいます。私の活動について友達に説明すると、昔は奇異な目で見られたのが、今は『すごいね!』という反応が返ってくる。いつか自分の職場や町内で、イスラム教徒と近しくなる日が来るかもしれません。もっとお互いを知ることが必要です」
「知る機会がないのが問題」と提起する
「真の美に国境はない」
今後は“日本発のヒジャブブランド”として発信したい、と熱を込めて語る小林さん。全身を覆うロングコート風のイスラム民族衣装であるアバーヤも、「ヒジャブとセットでコーディネートしたい、作ってほしい」という要望が多い。「着物の美しさを知ったお客さんの期待に応えたい」と、開発に意欲的だ。
「美しい物どうしを組み合わせた着物ヒジャブは、お互いの文化をポジティブに理解するための入り口にできると思う」
紗紗のウェブサイトに掲げられたモットーは、“True Beauty Knows No Borders.” 日本とイスラム文化の懸け橋という生き方を見つけた小林さんの夢は、これからも広がっていく。
紗紗を運営する小林さん夫妻
紗紗 xiaxia hijab Japan
- 公式HP:https://xiaxiahijab.com/(実店舗の情報も掲載あり)
- オンラインショップ:https://xiaori.thebase.in/
撮影=花井智子
取材・文=ニッポンドットコム編集部
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