時事通信社にてインタビューに応じる境社長 TOMOHIRO SAWADAーNEWSWEEK JAPAN

<日本人は伝統文化を知らなすぎる...価値に気付く仕掛けが必要だと、「日本伝統文化検定」を立ち上げた時事通信社社長の境克彦は語る>

日本の伝統文化は瀕死の状況だ。今年は、1月の能登半島地震で石川県の輪島塗が存亡の危機に陥った。特に過疎高齢化が進む地方では、人がいなくなれば地域の伝統文化そのものが消滅してしまう。

伝統的工芸品産業振興協会によると、2020年度に伝統的工芸品の生産に携わる従業員数は5万4000人で、1980年ごろと比べて8割強減っている。代替できない技術を持ち継承し得る人が、既に5万4000人しかいない。

そんななか昨年末、時事通信社が中心となって「日本伝統文化検定(伝検)協会」を立ち上げた。9月20日には、11月29日~来年1月31日に開催される第1回検定の申し込み受付を開始している。


なぜ今、報道機関である時事通信社が日本の伝統文化の、しかも検定事業を始めたのか。伝検協会理事長で時事通信社社長の境克彦に話を聞くと、語られたのは海外から見た日本の伝統文化の価値と、それに気づかないまま失い続ける日本への危機感だった。(聞き手は本誌記者・小暮聡子、澤田知洋)

――伝検を立ち上げた経緯は。

伝検協会の発起人にも名前を連ねているメイド・イン・ジャパン・プロジェクト社という、帝国ホテルや六本木の東京ミッドタウンに工芸ショップを出している会社の方から、日本の伝統工芸が置かれている状況がいかに悲惨であるかを聞いた。

国も自治体もずいぶん前から産地支援や後継者の育成に補助金をたくさん出してきたのだが、全くらちがあかないと。担い手や作り手の支援だけではもう持たないなか、存続するには、伝統工芸について多くの人に知ってもらうしか道はないという話になった。

伝統工芸品は値段も高い。だがそれは、その対価に見合う価値を理解できていないから高いと思うだけで、どういう工程を経て出来たかが分かればむしろ安く感じることもあるだろう。まずは知ってもらうために、検定を作って日本文化について勉強するのはどうかという趣旨で始まった。

――伝統文化はなぜ今、ここまで危機に陥っているのか。

工芸の世界には過去に大きな危機が2回あった。1つは明治維新で、工芸の最大のパトロンであった武士階級が消滅し、日本刀の技術は金工の最高峰だったにもかかわらず、特に刀剣類が行き場を失った。

江戸時代に金工に携わっていた人たちは、明治期には鍋や釜や包丁などの民生品に舵を切ったわけだ。明治時代には、外国からも日本の工芸品の水準の高さが認められて、万博で激賞されることもあった。

しかし戦後に、次の大きな危機がやって来る。高度成長と生活の洋風化、それに家族関係の希薄化だ。核家族化が進んだ結果、古い物が子供たちに伝わらなくなったのだ。

震災で壊滅的な被害を受けた石川県の輪島塗 GYRO/ISTOCK

2度目の危機のほうがはるかに深刻だ。西洋の大量生産の工業製品は経年劣化する。完成した時点が最高の品質で、だんだん劣化していく。一方で日本の伝統工芸の良さは経年美化と言って、メンテナンスは必要だが、時間の経過と共に美しさが増していく。

例えば代々使ってきた箪笥は、受け継がれていきながら磨かれ艶を出していく。しかし核家族化が進み、実家にあった古い物は家族がばらばらになると廃棄処分されていった。


また、衰退の大きな理由の1つに、学校で日本の伝統文化をほとんど教えてこなかったことがある。自分の国の文化なのに、具体的な教科もないし教える先生がいない。

かろうじて美術で日本画を教えることはあるかもしれないが、実際に使う機会もなければ鑑賞する機会も減っているので、その価値が分からないまま忘れられていく。

――若い層が伝統文化の価値を学ぶのに、検定は一役買えそうか。

時事通信社は日本語検定にも設立時からかかわっているが、残念ながら受験者数が減っている。

漢検(日本漢字能力検定)と英検(実用英語技能検定)は別格で、学校の入学試験や就職試験という具体的かつ実利的なメリットがあるから学生も受けるのだが、教養系や趣味系の検定はどこも苦戦している。

一方で、若い人たちが伝統文化の価値に気付くためには、やはり勉強しないと分からないとも思う。伝統文化を学んで何のメリットがあるのか、と思われるかもしれないが、例えば観光業に携わる方や百貨店の店員、料理人の知識の幅を広げる意味では実利的だ。

時事通信社のビル1階に「銀座うかい亭」という鉄板焼きのお店があるが、うかいさんも伝検を支援する会員になってくれた。社長さんが、従業員の成長を促したいと。

お店では良い器を使っているが、その器の説明も出来ないようでは駄目だろうとおっしゃっていた。伝統文化にはストーリーがあるので、知っていればお客さんとの会話の幅も広がるかもしれない。

会員制度はまだ始まったばかりだが、プリンスホテルを展開し美術館なども持つ西武ホールディングスも、従業員の教育のためにと会員になってくれた。

ほかには歌舞伎の制作・興行を手掛ける松竹や、昨年夏に社会貢献活動として伝統工芸を支援する「MUFG工芸プロジェクト」を立ち上げた三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)も会員になっている。

伝験には3級・2級・1級の3つの段階がある。3級・2級は知識中心の問題になるが、(2級合格者が受けられる)1級は日本の伝統文化の歴史や存在意義を語り伝えられる「アンバサダー」にふさわしい合格基準を設けたいと考えている。3級や2級で基礎と応用の知識があること、1級でより深い知識を語れることを示せれば、就職活動にも使えるかもしれない。

外国に住んでいる日本人から、受験したいという問い合わせも何件かあった。その国で日本のことを聞かれてあまり答えられなかったから学びたい、ということだろう。多くの人に似たような経験があると思うし、日本の伝統文化は国際人必須の教養とも言える。伝検は海外留学や海外赴任を控えている人たちにもおすすめする。

   新紙幣の千円札にデザインされた葛飾北斎の「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」STANISLAV KOGIKU―SOPA IMAGES―REUTERS

――逆に、インバウンドで外国から来る人たちのほうが日本文化に詳しいと聞く。

来日した中国人から聞いた話だが、日本の伝統文化に対する何か嫉妬に似た羨望すらあるようだ。中国国内には戦乱と革命で打ち壊されてほとんど残っていないものが、遣唐使や遣隋使が持ち帰った文物が日本に根付いており、しかも独自の要素を付け足しながら発達してきた。それを見るととても悔しい、と。日本の文化に対するあこがれのようなものがあるとも聞いた。

例えば、南宋時代に中国で作られた「曜変天目」という茶碗は現存するものが世界に3つしかなく、その全てが日本の国宝に指定されている。日本に持ち込まれて以来、日本が保管してきたが、中国にはない。


北京にも(国立博物館にあたる)故宮博物院はあるが、蒋介石が良いものを台湾に持って行ったため、台湾の故宮博物院のほうがよっぽど充実しているとも言われる。日本の伝統工芸品も、価値が分かる人がいなければ失われるか、流出していくだろう。価値が分かる人を育てることが重要だ。

――観光庁の訪日外国人消費動向調査によると、今年4~6月の民芸品・伝統工芸品の購入者単価は1万3202円と、コロナ禍前2019年同期の8730円に比べて51%増えた。地方を訪れる外国人旅行者が伝統工芸品を買ったり、作ったりすることも人気のようだが、インバウンド活況の今、伝統文化には商機もあると考えるか。

インバウンドで来日する人の中には、非常に高価な伝統工芸品を買っていく人もいる。東京・青山にある、日本の伝統工芸品を数千点扱う「伝統工芸 青山スクエア」は連日、外国人観光客でごった返している。

今後、人の手で作られるものがどんどんなくなっていくなかで、新聞もそのうち伝統工芸のように経済的に余裕のある人しか手に取らない媒体になるかもしれない。報道機関として脅威に感じているのは、人口減少で日本語を読む人が毎年1%弱ずつ減っていくこと(2023年の新聞発行部数は前年比7.3%減)。では、英語圏にも興味を持ってもらえるコンテンツはあるのか。

日本の政治経済ニュースは英語でほとんど読まれないが、文化はまだ可能性がある。漫画やアニメといったサブカルチャーは既に世界中を席巻しているが、ひょっとしたら伝統文化も、日本の強力なコンテンツになり得るかもしれない。

伝検の出題範囲は8ジャンルで、伝統工芸である「陶磁器・ガラス」「金工・木漆工」「和紙・染織」「建築・庭園・美術」と、伝統文化の「伝統色・文様」「茶道・和菓子・日本茶」「食文化・歳時記」「芸能」。浮世絵も美術の出題範囲に含まれるが、折しも2025年のNHK大河ドラマは、江戸時代に版元として浮世絵の黄金期を築いた蔦屋重三郎を描いた物語だ。

蔦屋は、喜多川歌麿の代表作「寛政三美人」の出版・宣伝・販売を手掛け、ほかにも葛飾北斎などを発掘して「江戸のメディア王」となった。

19世紀ヨーロッパの印象派に影響を与えた北斎は、日本以上に国外で絶大な人気を誇る。来年は日本にも浮世絵ブームが来るかもしれないし、今からでも伝統文化を学んで損はない。

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