はじまりは1枚の手紙。
「おはなのたねをひろってくれた人はおはなをいっぱいさかせてください」
今から34年前の1990年。
当時、小学1年生だった少女が手紙とアサガオの種をつけた風船を大空へ飛ばしました。
手紙を書いた佐賀市の中島真由里さんは、受け取った八女市の橋本チヱコさんに会いに行きました。
34年越しの初対面です。
最初に風船を見つけたのはチヱコさんの夫、士道さんです。
【チヱコさんの夫・士道さん】
「風船が木に巻きついていたミカンの木に。うちのミカン畑に落ちてきていて」
諸富北小学校から風船がたどりついたミカン畑がある山までは、直線距離にして約20キロ。川を越え、線路を越えさらに住宅地や山の木々を抜け、橋本さんのミカンの木にやってきました。
チヱコさんはアサガオの種を玄関先にまき、成長を楽しみにしていたといいます。
【橋本チヱコさん】
「アサガオの色がピンクと紫が2つ咲いた。それから、まだいっぱいつぼみのあったからそれが開いてから(写真と手紙を送ろうと)待っていた」
しかし…
【橋本チヱコさん】
「こんなに浸かってしまったから、家も全然わからなくなってしまった」
この年の7月、大水害によって家の前の川が氾濫。
当時営んでいた店の売り物も玄関先できれいに咲いていたアサガオも流されてしまいました。
それから34年
【中島真由里さん】
「何回も何回も読みました」
当時は叶わなかった手紙のやり取りが実現しました。
【橋本チヱコさん】
「この歳になって暇になったから、昔の日誌を見てみたら、真由里さんの手紙があったから」
【中島真由里さん】
「手紙には手紙をいただいたことで、こういったご縁ができてとてもうれしいのと“今後も家族で遊びに行かせてください”という風にお願いを書いた」
【中島真由里さん】
「母ちゃんの風船ね、こんな山の上まで来ていたんだって」
真由里さんは風船が引っかかっていたミカン畑に向かいました。
【中島真由里さん】
「風船が止まっていた木はどのあたりでしたか?」
【チヱコさんの夫・士道さん】
「あそこに柱が立っている、あのへん」
【中島真由里さん】
「白いから目立ちました?すぐわかりました?」
【チヱコさんの夫・士道さん】
「それはすぐわかった」
【真由里さんの長男・凰太くん】
「お手紙とアサガオの種です
真由里さんは二児の母になり、長男の凰太くんはこの春から当時の真由里さんと同じ小学一年生です。チヱコさん宛てに手紙を書きました。
内容はもちろん“おはながいっぱいさきますように”
夏は昆虫採集に。秋はミカンの収穫に。
【凰太くん】
「また会いにきます」
「八女に行く楽しみができた」できたと話す真由里さん。
手紙のやり取りが続くことはもちろん、
これから先も家族ぐるみの付き合いになりそうです。
【橋本チヱコさん】
「本当、風船のご縁ね。あなたがくれた風船が私に、縁があった」
【中島真由里さん】
「私も拾ってもらえたのがチヱコさんでよかった」
【橋本チヱコさん】
「私とあなただからよかった」
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