2年10カ月に及んだ岸田政権が国民のために何をしたのかは思い出せなくても、岸田文雄氏が2021年8月、自民党総裁選への出馬会見で、青い表紙のノートを誇らしげに示した場面は覚えている人は多いかもしれない。  「コロナ禍で生活が苦しい。家族に会えなくて寂しい。(国民から)聞いてきたさまざまな声を書き続けてきた」。「聞く力」を売りにした岸田首相が誕生した象徴的なシーンだった。

「岸田ノート」を手に、「聞く力」を掲げて自民党総裁選に立候補した岸田文雄前政調会長(当時)=2021年8月、衆院第2議員会館で

 岸田政権前の安倍・菅路線は、安全保障や原発など重要政策を国会での十分な議論も経ずに転換させ、民意を軽んじてきた。その政治姿勢への反省を込めて、岸田氏は「民主主義の危機」を訴え、路線転換を想起させた。格差を広げた安倍政権の経済政策「アベノミクス」とも距離を置き「新自由主義的な政策」の転換を図るかのように見えた。  それは甘い期待だった。岸田氏は首相になると、アベノミクスの路線をあっさりと踏襲してしまう。安全保障政策も同様だった。安倍政権は集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法を成立させ「専守防衛」を形骸化させたが、岸田首相は敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決めて、日本が戦後堅持してきた「専守防衛」の理念をさらに弱め、他国での紛争を助長しかねない次期戦闘機の第三国輸出にまで踏み切った。

記者会見する岸田首相=14日、首相官邸で(池田まみ撮影)

 安倍政権は世論に批判が多い課題を強行的に推進したが、岸田政権は、安倍路線をより具体化してきたのが本質だったと思う。実際、「聞く力」の象徴だったあのノートは、いつしか見なくなった。  自民党派閥の裏金事件も発覚し、内閣支持率は歴代内閣でも最低の水準にまで落ち込んでいた。政治資金規正法の見直しが「火の玉」の決意とかけ離れた結果に終わり、物価高から国民を救う手だても十分に打てなかった。国民から見放された中での辞任表明は必然と言える。 

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