政治不信が極まるなか、短期決戦の火ぶたが切られた。9日、衆院が解散され、15日公示、27日投開票へ向けて事実上の選挙戦が始まった。上向かない暮らしや相次ぐ災害など、さまざまな課題に直面する有権者は誰にどんな思いを託すのか。
「騒動は別世界の話のようだった」
福岡県宮若市のコメ農家、因(ちなみ)泰光さん(63)は、コメの供給不足が伝えられスーパーなどからコメが消えた「令和の米騒動」を冷めた目で見た。コメの店頭価格は高騰しても、農家の取り分が増えるわけではない。前年に売れ残りが多く出たため、昨秋の収穫直後の価格交渉では、価格を下げざるを得なかった。「結果的に収入はむしろマイナスだった」
1990年代に父親が体調を悪くしたことをきっかけに30代前半で就農。祖父から稲作を続けてきた3ヘクタールの田んぼを受け継いだ。
当時のコメ価格は60キロ当たり2万4000円程度。「コメ農家は安定しているといわれ、コメだけでやっていける時代だった」。だが、国がコメを買い上げる食糧管理法が廃止された95年以降、コメ価格の下落は続き、農林水産省によると、卸売業者への販売価格は96年産までは60キロ当たり2万円台を維持していたが、2023年産は1万5313円まで下がった。
そこに円安やロシアのウクライナ侵攻などによる肥料や農薬、燃料の価格高騰が追い打ちをかけた。「コメのもうけは年間数十万円だけ。自分の代から始めた野菜栽培がなければ大変なことになっていた」
猛暑の中での重労働は割に合わないが、受け継いできた田んぼを荒らすわけにいかないという思いと食糧を守るという使命感で続けてきた。量販店で格安でコメが売られているのを見ると、「ばかにされているような感じがする」とさみしげな表情を浮かべる。
地元では「割に合わない仕事を子どもに継がせられない」と後継者がいないコメ農家が多くを占める。会合の参加者で因さんより後に就農した人はいない。国内全体でも、コメ農家の数は20年は71万と、00年の174万から激減している。
「このままではコメ農家はいなくなる」。因さんは農家の現状を政治がどこまで考えているのか疑問に感じる。「主食であるコメは、なければ輸入すればいいってものじゃないはず。豊かでなくてもいいから、せめて普通に生活ができる環境を整備してほしい」【森永亨】
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