殺傷事件は11月だけでも、連日のように起きている。11日に広東省珠海市で男が車を暴走させて35人が死亡したほか、16日には江蘇省無錫市の職業専門学校で元学生が学生らを刃物で切り付けて8人が死亡、17人がけがをした。さらに19日には、湖南省常徳市の小学校前で複数の児童や歩行者が車にはねられて負傷し、22日にも遼寧省遼陽市、広東省佛山市、江蘇省揚州市でも車が暴走し、無差別に人をはねる事件が発生している(詳細は不明だが、いくつものソーシャルメディア上に映像が流れている)。
地元警察当局の説明によると、珠海の事件の容疑者は離婚調停に不満を抱えていたという。無錫の事件の容疑者は専門学校の試験に合格できず、卒業証書を受け取れなかったことや、実習先での報酬に不満を持っていたという。湖南省の事件については、警察当局は捜査中だとして容疑者の動機を発表していない。
今年は景気の悪化から社会不安が増しているのか、定期的に目を通しているソーシャルメディアで中国の殺傷事件のニュースをしばしば目にしていたが、家庭や学校、職場の人間関係がもつれ、怨恨(えんこん)や憤りから攻撃的な行動に出るケースが大半だった。しかし、今回の珠海と無錫の事件は恨みを持つ特定の相手を狙ったものではなく、無差別の襲撃だった。
「社会への報復」だったのか
珠海の事件と無錫の事件の容疑者は、経済的に苦しい状況にあったのだろうか。どのような社会的地位にいる人物だったのか。中国の警察当局が発表する情報に限りがあり、報道の規制も行われているため、ごく限られた情報から判断するしかないが、珠海の容疑者が犯行で使ったのはスポーツタイプ多目的車(SUV)だったという。
SUVは高級車に分類されるだろうし、離婚の財産分与でもめていたというが、もめる原因となる財産があるということは、彼が低所得者であったとは考えにくい。しかし、昨今の景気の悪化で財産の価値が急に目減りした可能性はある。
一方、無錫の容疑者は、職業専門学校に通いながら実習のため工場で勤務していた。学歴を重視する中国社会において、多くの親が子どもを大学に入れたいと考えており、職業専門学校は大学受験に失敗した人が行く学校と見られがちだ。容疑者の生まれ育った家庭の状況は分からないが、経済的に恵まれず、大学に進学できなかったのか、成績が思うように伸びず、専門学校に進学するほかなかったのかもしれない。自ら望んで職業専門学校に進学するとは考えにくい。
容疑者の現時点での経済状況も推測するしかないが、容疑者の遺書には、1日16時間働いても給与が払われず、「搾取を目の当たりにした。死をもって労働法を改善させる」と書いてあったという。それほど労働環境が厳しいのに、そこから抜け出せなかったのは、他に収入を得るためのより良い手段がなかったからだろう。しかし、この男性が搾取や労働法の改善に言及しているということは、彼が単に経済的に行き詰まり、衝動的に事件を起こしたとは言えないのではないか。
中国最大の検索サイト「百度」で「報復社会」(社会への報復)というキーワードの検索数が上昇しており、そこに少なからぬ日本のメディアが注目しているようだが、この2人は社会への報復を意図していたのだろうか。しかし、そのような考えがあったとしても、報復すべき「社会」とはいったい何を指すのだろう。中国の友人たちに聞いたが、「社会全体を指すとても曖昧な概念」という説明が大半だった。
珠海の事件の容疑者は離婚の財産分与に関して司法の判決に不満を持っていたというが、ならばどうして、裁判所や裁判官、あるいは不公正な司法制度の維持に関係する政府や党組織に、批判の矛先を向けなかったのか。珠海の警察当局が当初発表した資料には、この男性が裁判所の下した判決に不服を持っていたと書かれていた。次に発表された資料には、その部分がごっそり抜けていたため、メディアや世論が司法の問題に切り込み、批判が高まることを恐れた関係当局が警察に発表内容を変更させたのだろう。
なぜ、無錫の事件の容疑者は、過酷な労働を強いた工場や学校の関係者、あるいは労働政策に関わる政府の担当部署に不満をぶつけようとしなかったのか。離婚の財産分与や労働環境への不満があるにもかかわらず、恨みや憤りを具体的な対象に向けられないのは、それが政治体制に関わるからではないだろうか。「国家の安全」が強調される昨今の中国の言論環境では、司法が独立していないこと、労働法に問題があることを話題にすることは許されない。
政治的うつ病
近年中国語の言論空間で、「政治抑郁(政治的うつ病)」(zhèngzhì yìyù)という言葉が聞かれるようになった。日本ではほとんどなじみのない言葉だが、中国では、2016年に華東師範大学政治学部の講師だった江緒林が自死した後、中国の知識人が抱える苦悩との関わりで、「政治的うつ病」の言葉を使った追悼文やコメントが見られたという。
ある中国の心理学の研究者によると、香港の逃亡犯条例改正案の反対運動が行われていた2019年、「政治的うつ病」に関する文章が中国大陸で投稿され、香港でも広く閲覧された。さらに、コロナ禍のロックダウンによって生活に多大な制限が加えられ、「ゼロコロナ」政策に対する不満が高まる中で、この文章はさまざまなサイトで引用されたという。
その後、元中央テレビ局の人気キャスターで、現在欧州をベースにドキュメンタリーの制作やyoutubeの番組を放送している柴静や、中国では発禁となる情報を集めて発信しているX(twitter)のアカウント「李老師不是你老師」が紹介し、中国語の空間で「政治的うつ病」が広く知られるようになっていった。
「政治的うつ病」(political depression)は、欧米諸国で社会や政治の機能不全、自らの人生の選択においてコントロールを失った感覚から生じる状態と説明されている。アメリカの心理学者などがこの言葉を提起したのは、2001年の9.11事件(アメリカ同時多発テロ事件)に関連してのことだったという。
その後、2016年にドナルド・トランプが米国の大統領に選出された後、特にリベラル派の間で「政治的うつ病」の現象が議論され、さらに、他の文脈でもこの表現が使われるようになり、世界中のリベラルな運動におけるシニシズム(冷笑主義)や燃え尽き感を表すようになった(China Media Project 2022)。
インターネット時代の構造的暴力
急速な経済成長を達成した中国は、貧富の差を拡大させたとはいえ、社会全体において生活水準を底上げすることに成功した。ほとんどの人が携帯電話を使い、インターネットにアクセスし、生活の利便性や効率が格段に高まるのを身をもって経験した。そうして、人々は自らの時間や生活スタイルを思うようにコントロールできるようになったが、その一方で、国家が一方的に科す政策目標や家庭からの圧力を受け、さらに、社会における過酷な競争にさらされる中で息苦しさも感じている。
特にゼロコロナ政策のロックダウンでは、中国のすべての社会階層の人々が、自らの運命を自らコントロールできず、個人の尊厳が踏みにじられた。簡単には忘却できないこの集団的記憶が人々の脳裏に焼き付けられただけではなく、コロナ後の中国は「監視社会」のシステムをより強固なものとし、全方位にわたって国民の思想や行動を制限するようになった。
中国の人々が貧困、労働搾取、不公正な司法、言論の自由の制限、入試や就職での差別等によって、物理的かつ心理的に大きな圧力を感じ続け、危機的な状況に陥っているのであれば、それは、ノルウェーの平和研究者ヨハン・ガルトゥングのいう「構造的暴力」にさらされているからであろう。
しかし、個々の問題の行為主体は不明確であり、さらにインターネット時代の中国では、監視カメラが至るところに設置され、「不安定分子」としてマークされている人々には尾行がつけられ、少人数でも当局がマークする人物がいれば食事のために集まるだけでも警察が飛んでくる。
日常会話の中で、政策上の問題を議論することさえ、気軽にはできないのだ。10年にわたり中国社会科学院の経済研究所の副所長を務めてきた朱恒鵬は現在行方不明だが、私的なチャットグループで、習近平国家主席の経済政策を批判していたと報じられている。構造的暴力を前に、なす術がなく、自分の感情や思考を極度に抑え込まなければならない。そうした中で、「政治的うつ病」の症状が深刻化するケースが少なくないのではないか。
「原子化」された社会
さらに、「政治的うつ病」は「原子化」された社会でより深刻化する。
財政状態が劣悪で、雇用関係が不安定な中、日雇い派遣業、ネットカフェ、消費者金融といった「貧困ビジネス」が利益を上げる日本社会が抱える問題を、この「原子化」という言葉を用いて描写する内田樹は、「個人が原子化された社会」において、例外的に強くも幸運でもない人々は、ひとたび集団を離れて原子化すると、生涯を収奪され続けるように構造化されていると説明する。
収奪する側にいる「強者」たちは、「収奪される人たち」が安定的に供給されるように、「原子化されると楽しいですよ」ということを、まめにアナウンスする。集団を作って乏しい資源を分かち合い、危険を回避することに配慮する人々が増えると、「強者」たちにとっては「食い物」が減るからだ。
中国では、グローバル経済の中で高度に発達したサプライチェーンを極限まで効率化させてきた。そうした経済システムにおいて、急激な景気の悪化で真っ先にコストカットの対象となるのは、末端レベルの労働現場である。そして、「社会主義市場経済」という中国のコンテクストで、「原子化」の状況はより過酷になる。
なぜなら、中国の人々は幼少時より、「中国は社会主義革命のために労働者階級と農民による《労農同盟》によって建国された国」だと学び、中国の官製メディアは中国の指導者が労働者や農民に配慮した政策を推進していると宣伝し続けているからだ。無錫の事件の容疑者が述べているように、現在の中国では、国の主人公であるはずの労働者が搾取される状態が常態化しており、中国共産党によるプロパガンダと現実とのギャップは拡大する一方だ。
中国の人々は「原子化」を望んでいるのか。文化大革命や天安門事件の時代とは異なり、権威主義的な政治体制の下でも、ソーシャルメディアでつながる中国の人々は、自己表現の機会を増やしてきた。しかし、開放的な空間だと思われたソーシャルメディアのスペースは、時として検閲や密告の場に変わる。突如として壁が現れ、情報が遮断されたり、消されたりする。
人々がより自由に自らの悩みを表現し、苦悩を他者と分かち合うことができれば、課題解決のために人と人がつながっていくことができれば、社会の緊張状態は一定程度、緩和されるはずだ。だが、景気が回復しない中で、政府が言論統制の手綱を緩めれば、人々の不満が広範にわたることが明らかになる。それが怖いというのが独裁国家の悲しい性(さが)だ。しかし、人間は自らの感情や思考を持つのだから、表現の自由が奪われれば人間の心を失うしかない。管理や監視では、温かい人間の心を回復することはできない。
政治的権利が奪われ続けてきた中国の人々が抑うつ状態の下で追い詰められ、監視システムや警察が迅速には対応できないような方法で、車やナイフを使った犯罪に走っている。国家安全法や反テロリズム法を制定して「国家の安全」を守ろうとしている中国において、国民のテロリスト化とも言える状況を加速してしまっているのは、なんとも皮肉なことである。
【参考文献】
- 内田樹「原子化する社会」『anjali(アンジャリ)』第14号 (2007年12月)親鸞仏教センター
- “THE CMP DICTIONARY Political Depression” China Media Project, 2022年10月5日
- Wong, Chun Han & Wei, Lingling「中国の著名エコノミストが失踪、習氏の政策批判か」The Wall Street Journal, 2024年9月25日
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