会社に対しシュプレヒコールを上げる杉田育男さん(左から2人目)=東京都墨田区で1978年9月(全国一般東京東部労組大久保製壜支部提供)

 「おれたちはロボットじゃない」――。およそ半世紀前、そんなスローガンを掲げた、障害を持って働く人たちが立ち上がった労働争議があった。賃金差別や虐待、いじめに耐えかね、労働組合を作り声を上げた「大久保製壜(びん)闘争」(1975~97年)だ。争議のリーダーだった杉田育男さんが今年2月に亡くなったことをしのび、障害者差別との闘いを記憶に刻む闘争の記録の上映会が企画された。

 「大久保製壜闘争」は、東京都墨田区の製瓶メーカー、大久保製壜所での労働争議。当時、同社は身体や知的障害を持つ人などを多数雇用し、「福祉のモデル会社」などと評されていた。一方、同社で働いていた杉田さんら障害を持つ人たちは、賃金やボーナスなどで差別を受けていたほか、日常的な暴力や虐待、ハラスメント、長時間勤務など過酷な勤務を強いられていたという。

 杉田さんは脳性マヒの障害を持っていた。71年に同社に入り、検査職場で働いていた。75年11月に杉田さんら検査職場の障害者ら36人(健常者3人含む)が、職場での障害者に対する暴力をきっかけに、暴力と差別的な取り扱いに抗議し待遇改善を求め職場に籠城(ろうじょう)、その後近所の教会に籠城の場を移した。教会の中で労働組合を結成、杉田さんが委員長に就き、9日間仕事のボイコットを続け、差別撤廃と一律2カ月のボーナスを勝ち取った。

 籠城の最中は、障害者の親たちが争議をやめるよう説得に訪れたが、杉田さんは「自分の子どもが会社からも世間からもゴミのように扱われ、そんな人間に成り下がるか、それとも自分で考え自分で行動し本当に人間として生きてゆくのか、自分の子どもが可愛いなら真剣に考えてください」と訴えると、親たちは納得し、1人も連れ帰られることはなかった。争議は注目を集め、炊き出しや宿泊場所の運営などで多くの市民が支えた。

 籠城争議は終わったが、いじめや嫌がらせによる労組の切り崩しや差別待遇が完全になくなることはなかった。ストライキや最高裁での会社側の不当労働行為確定など法廷闘争を続け、97年にようやく全面解決に至った。

 全国的に注目を集めた争議をリードしてきた杉田さんは今年2月に73歳で亡くなった。組合員や運動を支えた人々から「杉田さんの志と闘いを少しでも引き継ぎたい」と声が上がり、上映会が決まった。上映されるのは「人間を取り戻せ! 大久保製壜闘争の記録」(ビデオプレス・40分)で、籠城当時の様子も紹介されている。杉田さんと一緒に全国一般東京東部労組大久保製壜支部で活動した長崎広さんは「闘う前までは本当に奴隷だった、ロボットだった俺たちが、闘いの中で人間になったと思う。(健常者の自分は)障害者を助けるというような気持ちを持っていたが、こちらが助けられた。今、さまざまな労働の現場で声を上げられずに苦しい思いをしている障害者や非正規、若者たちにぜひみてほしい」と話している。

 上映会は9日午後1時半、葛飾区青戸5の青戸地区センターホールで。無料。問い合わせは全国一般東京東部労組(03・3604・5983)。【東海林智】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。