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廣田寿子さん
「この現状を見ると、ほんとにあんまり変わってないので。あっという間だったし、これから先もまだまだ続く。長いので、本当に1つ1つ私にできることをやってきました。
1つずつこなしていかないとなかなか決着がつかないことが多いので。立ち止まりたいけど、立ち止まれないっていうのが現実なので」
「まさかこれが」
倒壊した自宅は、解体することが決まっています。
3月末、寿子さんは専門の知識を持ったボランティアに依頼して、自宅の中にある貴重品や思い出の品を探してもらいました。
がれきの山から見つけ出した大きな箱。
開けてみると、中には3段飾りの、昔ながらのひな人形が入っていました。
寿子さん
「こっち見ていいですか?ああ、全然大丈夫でした。めっちゃきれいです」
お内裏さまにおひなさま。
三人官女も1つも壊れていませんでした。
女の子の孫が多く、春になると娘や孫のために飾ってきたものです。
寿子さん
「全然ぬれていない。まさかこれが助かってくれるとはびっくりです。宝物を見つけました。見つからないと諦めていたのが見つかるのはうれしいですよね。解体するときは見つけるといってもできんよね、そこまで」
ひな祭りの時期はもう過ぎています。
それでも家族で大切にしてきた「宝物」が見つかったことが、すこし前を向かせてくれました。
「ちょっと落ち着いたら、時期はずれのおひなさま出そうかな。それぐらいしか楽しみないし。本当にありがとうございます」
ほかにも出てきたものがあります。
亡くなった義理の母、咲子さんが詠んだ短歌の冊子です。
短歌を愛した咲子さんが手書きでつづった、大切なものでした。
「見つけてもらって本当に喜んでいると思います。なんせ短歌が趣味なので、短歌の詩集であったりとか、見つけるのは本当に諦めていました、全部」
「私だけが生かされた」
寿子さんは、亡くなった均さん、咲子さんと同じ家の中にいました。
今でもふと当時のことを思い出すと、つらくなります。
1月、2月、3月と過ぎました。
今はとにかく、1つ1つできることを続けていくしかないと考えています。
寿子さん
「動けるかなと思って動き過ぎるところがあるので、子どもたちからは『ちょっと休め』と言われています。でもね、『主人の分まで頑張らないと』という思いもあったりして。『私だけが生かされた』っていうところもあるので。胸が痛くなるときもあるんですけど、能登の女の人は強いですから、頑張るしかないです」
(金沢放送局 記者 園山紗和)
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